『人体常在菌 ―共生と病原菌排除能』 (牛嶋 彊,医薬ジャーナル社,2001)


 医者の書いた感染対策の本には碌なものがない。細菌のことを知らずに感染対策について述べているからだ。感染対策を考えるのであれば,まず「細菌とはどういう生物か」を学び,それを基にして対策を考えるべきなのに,そういう基本知識なしに対策を考えるからとんでもないガイドラインやら,何の役にも立たない教科書ばかり医学書コーナーに並んでいるのだと思う。

 感染対策について考えるのであれば,細菌学者の書いた細菌学の本を一冊読んでみたほうがいい。医学の常識,感染対策の常識が根底から覆されるはずだ。この本もそういう一冊である。毎度書くことだが,医者や医学部の学生にぜひ読んで欲しいと思う。


 本書の著者は,嫌気連続培養装置を開発してさまざまな培養条件を工夫することで,腸管内の常在菌の相互作用,外来病原菌の排除の動的メカニズムを解明した人らしい。本の後半では皮膚常在菌や口腔常在菌についても説明されるが,ページの大半を費やして描かれるのは,腸管常在菌たちがどれほど精妙な相互関係を持つことで自分たちの生きる環境を維持しているか,お互いに生き延びるためにどれほど絶妙のシステムを作り上げてきたかがダイナミックに描かれている。腸管とは,莫大な数の腸管常在菌が生息する複雑膨大な生態系なのである。

 そして本書では,外来病原菌,たとえば黄色ブドウ球菌,腸炎ビブリオ,コレラ菌や赤痢菌の浸入に対し,それらの菌を検出して排除する役目の常在菌もいれば,病原菌の発育を阻止する物質を作り出す常在菌もいることを教えてくれる。さらに,元気がなくなった常在菌を治療する役目をする常在菌もいれば,抗生物質の攻撃を受けて死にかけている細菌群に耐性遺伝子を伝達して生きられるようにする高度先進医療顔負けの「遺伝子組み換え治療」をする常在菌もいる。あるいは,多糖類やタンパク質など,他の細菌が利用しにくい高分子を分解し,他の細菌が利用しやすい形にして引き渡す常在菌もいる。要するに,腸管の常在菌は高度に分業化した社会を作って生きているのだ。その社会を守るためにお互いに協力し合っているのである。

 それを著者は面白い例えで説明している。細菌の平均サイズ(2μm)と人間の平均サイズ(2メートル弱)はおよそ100万倍違う。一方,人間の身長を100万倍すると2000キロになる。偶然にも北海道から九州までの距離であり,いわば地球サイズである。つまり,人体常在菌にとっての人体とは,日本人にとっての日本列島,あるいは人類にとっての地球なのである。人間が地球を離れて生きていけないように(宇宙飛行士なんてもいるが,地球に戻れなかったら死ぬしかない),人体常在菌は人体を離れては生きていけないのだ。

 人間にとって地球はかけがえのないものであるというのと同じ意味で,常在菌にとって人体はそこで生きていくしかないかけがえのないものだ。地球環境が破壊され,生存に適さないところとなったら,人類は絶滅するしかない。だから,環境保護という考えが登したわけだが,それは20世紀になってからのことだ。
 しかし常在菌たちは,人間が環境保護の大切さに気がつくはるか大昔から,人体をいう生存環境を破壊することが自殺行為であることを知っていた。だから,限りある栄養を再生可能な範囲で利用するために,いろいろな能力を持った多種多様な細菌たちがお互いに協力し合い,ある時はいがみ合い,少しずつ遠慮し合い,我慢し合って,人体という閉鎖環境で生き抜いてきたのだ。なにやらいとおしくなってこないだろうか。


 これは皮膚常在菌でも同じだ。皮膚という有限の生態系の中で,皮膚常在菌たちは必死に協力し合い,乏しい栄養をやりくりして互いに助け合い,邪魔者(=外来菌)が入ってこないように共同防衛戦線を張っているのだ。つまり皮膚とは,皮膚常在菌が生活する生態系であり,この生態系そのものが病原菌の侵入を防いでいたのである。

 本書によると,顔面などの皮脂腺の多い皮膚でもっとも優位の細菌は嫌気性菌のPropionibacteriumという細菌らしい。そのほかにも,P.acnesP.granulosumP.avidumが常在し,そのさらに1/10の密度でS.epidermidisS.hominis,酵母様真菌のMalasseziaも常在して,巧妙な生態系を作っているのだという。


 皮膚には無数の毛嚢があり,そこには皮脂腺も開口している。皮脂腺から分泌されるものが皮脂であり,その成分はグリセリドや遊離脂肪酸だ。

 毛嚢という微小嫌気性条件下に生存するPropionibacteriumはリパーゼ作用を持ち,この皮脂を分解することができ,そのことでエネルギーを得ている。皮膚常在菌たちはこの皮脂分解産物を互いに利用し,ビタミンを作っては互いに融通しあって共生している。皮脂の分解によりさまざまな有機酸(オレイン酸,酢酸,プロピオン酸など)が皮膚上に遊離するが,これらはいずれもpH5.0~5.5という酸性度で共通している。このため,皮膚は弱酸性となっている。

 一方,健全な皮膚にも少数ながらS.aureus,S.pyogenesなどが定着しているが,オレイン酸やプロピオン酸などの酸類はS.aureus,S.pyogenesの増殖を抑制し,一方で,PropionibacteriumS.epidermidisといった常在菌の増殖を強く促進する。要するに,S.aureusにとっては有機酸は毒物だが,皮膚常在菌にとっては栄養源なのである。このため正常皮膚には,病原菌であるS.aureus,S.pyogenesは定着できないか,定着したとしても優位になれないのである。人間の皮膚という限られた環境,その皮膚から常に分泌される皮脂という物質を利用し,常在菌という仲間たちだけが増殖でき,外来菌や病原菌というよそ者を徹底的に排除する,実に巧妙なメカニズムがあり,それが皮膚という生態系を維持しているのである。


 これがわかると,傷口に黄色ブドウ球菌が増えてくる理由も明らかになる。指先を怪我をして皮膚がなくなったとしよう。創面には滲出液が出てくる。もちろんこれは,傷を治すための細胞成長因子であるが,pHは5.0ではなく中性か弱アルカリ性である。有機酸があっても薄められて弱酸性ではなくなってしまう。これはすなわち,Propionibacteriumの生存・増殖に適さない環境であり,S.aureus,S.pyogenesにとって最適の環境となったことを意味する。オレイン酸や酢酸などの「S.aureusにとっての毒物」が滲出液で薄められてたからこそ,S.aureusは生存できるようになり,栄養源がなくなったために常在菌は生きられなくなった。

 さらに,創面は好気性環境であり,これも嫌気性菌であるPropionibacteriumに不利,黄色ブドウ球菌に有利となる。要するに,「傷口」という環境はS.aureusなどしか生息できない環境であり,傷口を調べるとS.aureusしか検出されないのは自然現象なのである。

 また,本来の皮膚常在菌はマクロファージや好中球の貪食作用を受けやすいという性質を持っている。必要以上に常在菌が増えないように人間側も調節しているのだろう。しかし,S.aureusはコアグラーゼ陽性であって貪食作用に抵抗する。このため,傷口にS.aureusが生息すると貪食細胞がより多く集まるようになり,炎症症状が強く出ることになるらしい。


 これが「傷ができるとS.aureusが検出される」というメカニズムであり,この細菌の出現は病的ではないのである。

 アトピー性皮膚炎の患部からS.aureusが検出されるのも自然現象であって病的ではないことがわかる。〔痒い〕⇒〔掻く〕⇒〔皮膚が傷つく〕⇒〔滲出液が出る〕⇒〔中性環境になる〕⇒〔S.aureusしか棲めなくなる〕・・・というメカニズムだからだ。だから,S.aureusをターゲットにしたアトピー治療は間違っていることがわかる。


 これらの知識から,傷の治療と消毒の関係について考えてみると,やはり消毒は不要だということになる。例えば,傷口からS.aureusが検出されて発赤などの炎症症状があり,治療のために消毒してS.aureusが検出されなくなったと仮定しよう。この後,この傷はどうなるだろうか。

  1. 細菌という生物は,わずかな水分と栄養さえあれば地下5000メートルの岩石中にも南極の氷の中にも生息できる。無菌ということは地球上では起こりえず,無菌の傷もまた地球上には存在しない。

  2. 細菌の侵入を完全に防ぐことは日常的な環境では絶対に不可能である。

  3. 消毒前と消毒後で創面の物理化学的環境に変化はなく,滲出液のため,中性~弱アルカリ環境である。

  4. 創面の環境に適した細菌はS.aureus,S.pyogenesであり,創面で増殖する。

  5. 傷がある限りS.aureusは居続けるし,消毒薬で物理化学的環境が変わればそれに適した細菌に交代する。

 つまり,「傷口から細菌が検出された」からといって抗生剤を投与するのも消毒するのも,根本解決になっていないのだ。
 根本解決とは唯一つ,傷を治すことしかない。傷さえ治してしまえば正常皮膚が再生し,そこは皮膚常在菌しか棲めない有機酸によるpH5.0~5.5の世界になるからだ。ここではS.aureusの増殖は抑制されて自然に排除される。これは擦りむき傷でも熱傷でも褥瘡でも術後離開創でも同じだ。要するに,抗生剤投与も消毒も傷の治療にはなっていないし,傷の治癒とはおそらく関係ないのである。


 皮膚は皮膚常在菌が暮らす生態系であり,およそ1兆個の常在菌が生存していると考えられている。私はその様子を次のようなイメージで捉えている。

 日本列島に1兆人の人間が暮らしていて,十種類以上の人種から構成されている。彼らは日本列島から一歩でも外に出たら死んでしまう。彼らの唯一の栄養源は地面から染み出してくる脂分であり,それ以外にはない。だから,Aという人種がまずその脂分を分解して栄養とし,分解産物をB人種に渡し,以下,他の人種に分解産物を次々に渡しながら栄養を取っていくことで何とか生き延びている。不足するビタミンは,たとえばC人種に作る技術があり,彼らは他の人種に分け与えてくれる。彼らはそうやって,十分とは言えないけれど平和で安全な社会を作っている。

 ところが,日本列島に入り込んで仲間を増やそうと隙をうかがっている連中がいる。エイリアンである。だが日本には上記の先住民族が住み着いていて,彼ら同士が増えるように栄養源を分け与えているが,エイリアンには分けてくれないし,それどころか,日本先住民たちが食している脂分はまずくて喰えない毒なのである。これでは日本侵略は難しい。

 ところが,日本列島では時々,崖崩れやら地震が起き,そのたびに,地下からの脂分染み出しがストップしてしまうことがある。こうなると日本列島先住民族たちは食糧難になり,そこから姿を消す。こうなるとエイリアンが侵略することが可能になる。おまけに崖崩れの跡の大地からは脂分を薄めてくれる水が出てくるのだ。毒がなくなり,邪魔な先住民族が居なくなったから,エイリアンたちは定住を始めてコロニーを作る。それだけならいいが,破壊活動を始める奴まで出てくる。

 この日本列島には神様がいてエイリアン侵略を苦々しく思っている。エイリアンを殺せばいいだろうといろいろなショウドクヤクやらコウセイザイといった薬剤を使うのが好きである。
 しかし,ショウドクヤクを使うとエイリアンが死ぬ前に大地がさらに破壊されてしまうし,コウセイザイを使うとエイリアンは死ぬが,何しろ崖崩れの状態が放置されたままなので,またエイリアンが入ってきては勝手に増殖しているのである。脂分というエイリアンにとっての最強の攻撃物質・定住阻止物質が地面から出てこないから,エイリアンを殺しても殺しても,きりがないのだ。

 では,元の日本列島を取り戻すためにはどうしたらいいか。崖崩れの跡を治し,元の脂分が染み出す大地を取り戻せばいいのだ。それ以外には解決法はないのである。

(2007/07/26)

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