一般書店には生きている著者の本が並び、楽譜屋さんには死んだ作曲家の楽譜が並んでいる
本屋さんと楽譜屋さん,どちらも本(楽譜)という出版物を売っているが,両者に決定的な違いがあることに,先日気がついた。「一般書店の店頭に並んでいる本の著者のほとんどは生存している」が「楽譜屋さんの書棚に並んでいる楽譜の作曲家のほとんどは死んでいる」のである。別の言い方をすると,一般書店の本は著作権が切れていない作品であるのに対し,楽譜のほとんどは著作権切れなのである。これって面白くないだろうか。
もちろん,一般書店でも著作権切れの作品(著作者が死亡して50年以上経過しているもの)はあるが,店頭の棚の大部分を占めている文庫や新書,ハードカバーの本は過去10年以内に書かれた本がほとんどで,しかも新刊書(つまり,つい最近書かれた本)が圧倒的に多い。
ある小説を読んで気に入ったら同じ作家の作品を読みたくなり,既刊の小説を読み尽くしてしまうと後は新しく書かれたものを求めるしかない。また,古典作品には人類の叡智が詰まっているとはいえ,習慣や風俗や言葉遣いが現代と違っているためそれらを理解した上で内容を読み取ろうとすると,かなりの努力と予備知識が必要だ。たまにはそういうのを読むのもいいが,日常的には読書を楽しむのだったら同時代の作品を読んだほうが向いている。
一方,楽譜はどうかというとかなり様子が違う。売られている楽譜の大半は17世紀から19世紀にかけて作曲されたもので,著作者が生きているものとなると日本人が作曲したものが見つかるくらいだ。ピアノ曲に限ってみても,バッハ,モーツァルト,ベートーヴェン,シューベルト,ショパン,シューマン,リストあたりが一番多く,そのほかとなるとドビュッシーやチャイコフスキー,ブラームス,ラフマニノフくらいである。20世紀の作品となると,以前はソビエトの教育用の練習曲とか北欧のピアノ曲が結構並んでいたが,一頃よりは少なくなっているし,プロコフィエフやカバレフスキクラスの作曲家の楽譜も減っているような気がする。
楽譜を作って売る方だって商売だろうから,20世紀中頃以降のピアノ曲楽譜が店頭に並んでいないのは,そもそもそういう曲に対する需要がないか,需要があっても非常に少ないからではないかと思う。それしか理由が思いつかないのだ。
例えば,第二次世界大戦終了後(1945年)に書かれたピアノ曲で,演奏会で普通に弾かれている曲はどのくらいあるだろうか。
というわけで,一般書籍は著者が生存している作品ほど商売になり,楽譜は数世紀昔の作品で商売しているということになりそうだ。
それで,著者が死んでからまだ50年を経過していない(=著作権が切れていない)作曲家がどういうピアノ曲を書いていて,それが現時点でどんな風に扱われているかについて感想をまとめてみた。
なお,日本人作曲家についてはよく知らないため割愛しているし,没年についても間違いがあるかもしれないので以下のデータの没年をそのまま引用しないようお願いする。
ま,いずれにしても素人の適当な評論なんで,お気軽に読み流してください。
- ヴィラ=ロボス(1959没)
- ブラジルの作曲家。
- 作曲した曲の数は半端ではない。多産系作曲家の一人である。
- ピアノ曲として有名なのは「野生の詩 Rude Poem」という曲で,密林の濃密な空気が漂ってくるような雰囲気は他の曲では味わえないものだと思う。もちろん,ピアノもよく響き,適度に難しく,弾いていて面白い曲である。それ以外だと「ブラジル風バッハ第4番」「赤ちゃんの一族」がたまに演奏される程度で,それ以外のピアノ曲はほとんど忘れられているのが現状だろう。
- ボフスラフ・マルティヌー(1959)
- スイスの作曲家。
- ポルカとエチュード」というキュートで可愛い曲集があり,私もかつて練習して弾いたことがある。テクニカルにも難しくなくちょっと弾くにはいい曲集だと思うのだが,現時点では完全に忘れられている。
- ジョージ・アンタイル(1959)
- いきなりグリッサンドで始まる「ピアノソナタ第2番」ほか,幾つかの曲があるが,ピアノ語法が単調なので弾いてもあまり面白くない。
- ジャック・イベール(1962)
- フランスの作曲家。
- 「寄港地にて」というピアノ曲がちょっと有名。結構きれいな曲だが,いかんせん,ピアノ語法が単調なんて弾いていてあまり面白くない。これも「忘れられたピアノ曲」の仲間入りだろう。
- パウル・ヒンデミット(1963)
- 4つくらいのピアノソナタを作曲していると思ったが,四角四面な書法が最後まで貫かれて遊びがないため,ピアノ曲としての面白味には欠ける。あえて弾くような曲ではないと思う。
- フランシス・プーランク(1963)
- 軽妙洒脱なピアノ独奏曲(「ナザレの夜」とか「即興曲とか」)を幾つも残していて,どれも見事なピアニズムに満ち,弾いていて楽しい曲ばかりだ。技巧的にも難しい曲が多いが,挑戦する価値はあると思うし,今でも演奏会用の曲目として残っているのは当然だろう。
- 最高傑作は「2台のピアノのためのソナタ」である。宗教的沈思と熱狂的躍動感,鋭い不協和音と至純のコラールの交錯は効くものに深い感動を与えるはずだ。
- パーシー・グレインジャー(1964)
- オーストラリアの作曲家。
- 私がもっとも敬愛し,偏愛するピアノ作曲家
- オリジナル曲もいいが,編曲作品は他の追随を許さない独自の境地に達している。演奏会用パラフレーズの最高傑作とも言える「チャイコフスキー 花のワルツ」,ピアノの中音域の魅力を余すことなく導き出す「ロンドンデリーの歌」,鍵盤全音域が歓喜するグリッサンドの饗宴「In Dahomey」,むせび泣く哀愁「フォーレ 夢の後に」,10度の透明な響きが奇跡を生み出す「バッハ 羊は安らかに草を食み」など,どこをとっても一部の隙もないピアノ曲である。
- マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(1968)
- ラテン風味と現代的味付けが絶妙なハーモニーを醸し出している作曲家だ。弾いていて楽しいですが,もうちょっと,テクニカルにひねって欲しかった気もする。そんなわけで,あまり演奏されていないようだ。
- イーゴリ・ストラビンスキー(1971)
- なんだかんだいっても,1911年発表の「春の祭典」で,音楽に複雑系リズムと野蛮な響きを持ち込んだ偉大なる革命的先達である。初演時,暴動寸前の反感を買ったこの「祭典」だが,今ではオーケストラの主要なレパートリーになっている。勝てば官軍,という言葉はストラヴィンスキーのためにあるような言葉だ。
- オリジナルのピアノ曲としては,「サーカス・ポルカ」や「練習曲集」といった名人芸的なものの他,子供向けの教育用のピアノ曲があるようだ。
- しかし,彼のピアノ曲の最高傑作は誰がなんと言っても「ペトリューシュカの3楽章」だろう。自作のバレエ曲をもとに,ルービンシュタインの依頼でピアノ独奏曲に仕上げたものだが,演奏効果の高さといい,演奏難度の高さといい,第一級のピアノ曲である。腕自慢のピアニストでこの曲を弾いたことがない人はいないはずだ。
- ダリウス・ミヨー(1974)
- 「スカラムーシュ」という小粋なピアノ2台のための曲がある。結構いい曲だが,最近はほとんど演奏されていないような気がする。
- ソフィー=カルメン・エックハルト=グラマテ(1974)
- カナダの女流作曲家。
- 演奏の難易度は高いけれど演奏効果は高く,指になじむ弾いて楽しい曲を残している。
- 例えば「ラ・カンパネラ」は,ブゾーニ編曲の「リストのラ・カンパネラ」をさらに派手にした曲ですし,「1楽章は左手だけ,2楽章は右手だけ,第3楽章はその両手の合体」なんて組曲もあるし,「ちょうちょ,ちょうちょ・・・」のメロディによる見開き2ページの洒落た曲もある。
- 難曲マニアの間では知られた作曲家だが,一般的には忘れられた存在といっていいかも。
- アンドレ・ジョリヴェ(1974)
- 「赤道協奏曲」というピアノコンチェルトとか,「マナ」という呪術的響きを持つ独奏曲があるそうだが,私はどれもまだ聞いたことがないし,楽譜も見たことがない。
- 「マナ」の呪術的楽譜はちょっと見てみたい気がする。
- ルイージ・ダラピッコラ(1975)
- パガニーニを素材にした「ソナタ・カノニカ」というピアノ曲が有名。曲としてきっちりと書かれているが,ピアノ曲としての面白さがいまいち・・・という印象なのが残念。
- ドミートリー・ショスタコーヴィッチ(1975)
- いろいろな意味で20世紀を代表する作曲家。
- さまざまな分野の曲を作曲していて,ピアノ曲もかなりの数に上るが,ピアノ曲での最高傑作は「24の前奏曲とフーガ 作品87」だろう。中でも,「フーガ イ長調」は奇跡の一曲といっていいだろう。ドミソの和音しか使っていないのに,その響きはきわめて鋭敏で現代的だ。
- カルロス・チャベス(1978)
- ショパンの5つの練習曲(Op.10-1, 10-2, 10-5, 10-7, Op.25-9)の右手のパッセージを左手に置き換えた「5つの練習曲」とか,「アルトゥール・ルビンシュタインを讃えて」という短二度ばかり連続する練習曲がある。譜面を見ただけだが,面白い曲とは思えない。
- アラム・ハチャトゥリアン(1978)
- ピアノ協奏曲やソロの曲を書いているが,現在ではほとんど演奏されていないと思う。
- サミュエル・バーバー(1981)
- かつては「ピアノソナタ」がよく演奏されていたが現在ではどうだろうか。そのほかにもいろいろなピアノ曲があるが,人気はあまりないようだ。
- 個人的には「Hesitation-Tango」という曲が好きなんですが・・・。
- デイヴィッド・ヒナステラ(1983)
- ピアノソナタが少し有名。ピアノのためのタンゴをたくさん書いているが,演奏会などでたまに演奏される程度だろう。
- フランシスコ・ミニョーネ(1986)
- キュートでおしゃれな感じの12のワルツがちょっと有名。弾いていて楽しい曲だ。
- 他に6つの練習曲とかタンゴなどがあり,もうちょっと弾かれてもいいような気がする。
- フェデリコ・モンポウ(1987)
- スペインの作曲家で,ピアノ曲では「歌と踊り」というタイトルの曲集が有名。
- 極限まで音を切り詰めた独特の書法のピアノ曲で独自の音響世界を展開している。派手さはないが真摯な曲想が心を打ち,現在でも演奏されている。
- ドミトリー・カバレフスキー(1987)
- 子供のための曲集が以前はよくレッスンに使われていたが,今はどうなんだろうか。
- バッハの「ドリア調」のピアノソロ用編曲は大傑作だと思うが,全く演奏されていない。ブゾーニ編曲の「シャコンヌ」を弾くよりこの曲を弾こうよ。
- カイホスルー・シャブルジ・ソラブジ(1988)
- 巨大・長大な謎のような曲ばかり量産したイギリスの作曲家。
- 作風としては「複雑進化した後期印象派」といった感じだ。
- ピアノ曲も多数残しているが,そのほとんどは超絶的難曲である。ピアノ曲としての特徴は,音の饗宴としか言いようのない音符の多さ,複雑に入り組んだ多声部にある。ピアノ独奏曲なのに8声部とか9声部とかの部分もある。
- 楽譜のほとんどは4段楽譜で,一番上の段はオクターブ高く演奏するように指定されている。
- 一番有名なのが,演奏に5時間かかる「Opus Clavicenbalisticum」で,A3横長楽譜で130ページもありどっしり重い。
- 個人的にはショパンの「子犬のワルツ」のアレンジ2曲が大好きだが,とても演奏できる代物ではなかった。
- 熱狂的固定ファンを掴んでいるので,完全に忘れられることは当分ないだろう。
- ヴァージル・トムソン(1989)
- アメリカの作曲家。
- 「10の練習曲」という曲集がある。弾いている分には楽しいし,特に最後の「タンゴ」はなかなかちょっぴりシニカルで面白いが,全体的に音楽の書法が古臭くてとても20世紀半ばに作曲された曲とは思えないのが難点だ。
- アーロン・コープランド(1990)
- アメリカを代表する作曲の一人。
- 重厚な味わいを持つ「パッサカリア」のほか,「ピアノソナタ」とか「変奏曲」などがあるが,現在,演奏会で取り上げられる機会はほとんどないといっていいだろう。
- 個人的には,「猫とネズミ」という小曲がちょっぴり好きだ。
- レナード・バーンスタイン(1990)
- 一世を風靡した名指揮者で,作曲家としては「ウエストサイド物語」が超有名。
- ピアノ曲としては「Five Anniversaries」という曲集があるが,現在では演奏されることは滅多にないし,第一,弾いても面白くない。
- ルイージ・ノーノ(1990)
- イタリア生まれの作曲家。
- 1950年代以降の前衛的手法を駆使した作品を次々発表した。ガチガチの共産主義者としても有名。
- 一時期,ピアニストのポリーニが「苦悩に満ちながらも晴朗な波 ...sofferte onde serene...」という曲を盛んに演奏していたが,彼が演奏しなくなってからは彼の曲は滅多に聞けなくなったような気がするが・・・。
- オリヴィエ・メシアン(1992)
- 強烈なカトリシズムを背景とした神秘的な感覚,鳥の鳴き声ををそのまま採譜できる驚異の聴覚,複雑に体系化されたリズムなど独特の作品を多数残している現代フランスの巨匠。
- ピアノ曲としては,「8つの前奏曲」,「幼子イエスへの20の眼差し」,「鳥のカタログ」などがあり,ピアノ2台のための「アーメンの幻影」も有名。「幼子イエス」は現在でもしばしば演奏されている。
- なんだかんだいっても,演奏の困難さと,それを克服したときに得られる演奏効果の高さのバランスが取れているところが,メシアンのピアノ曲がピアニストに愛される理由ではないだろうか。
- ちなみに私も昔は,「前奏曲集」の最終曲とか,「幼子イエス」の「喜びの精霊」あたりを弾いたことがある。少なくともこれらの曲は,練習すれば弾ける曲である。
- ジョン・ケージ(1992)
- 現代アメリカを代表する作曲家。
- 次から次へといろいろな試みというか思い付きを作品に盛り込んでいった作曲家。
- ピアノ曲としては,プリペアド・ピアノ(ピアノ線にわざと異物を挟んで音程を狂わせた)を考案してそれのために書いた「プリペアド・ピアノの為のソナタとインターリュード」とか,ピアニストがステージに上がってピアノの鍵盤を開け,4分あまりその状態を続けてピアノを蓋を閉じ,ステージから降りるというピアノを演奏しないピアノ曲「4分33秒」が有名。ただ,現在も継続的に演奏されるピアノ曲はあまりないような印象だが,どうだろうか。
- アストル・ピアソラ(1992)
- アルゼンチン・タンゴにクラシックとジャズのエッセンスを加え,踊りのための音楽から芸術へと昇華させた立役者。
- ピアノソロのための曲も多数残しているが,聞いて面白いのは五重奏や六重奏などでの演奏だ。
- 「リベルタンゴ」はテレビコマーシャルでも使われているくらい有名。作品は今後も演奏され続けると思うが,彼のピアノ曲が残るかどうか微妙だ。
- ヴィトルト・ルトスワフスキ(1994)
- 現代ポーランドを代表する作曲家。
- 多くの作品を残しているが,ピアノ曲として有名なのは,最初期に書いた「二台ピアノのためのパガニーニの主題による変奏曲」。パガニーニのカプリス24番による変奏曲だが,現代的な硬質な響きが格好よく,現在でも時々演奏されている。
- モートン・グールド(1996)
- 現代アメリカの作曲家。
- ポピュラー音楽とクラシックんの融合,といった感じの曲を残している。
- ピアノ曲として唯一有名なのは,往年の名ピアニスト,チェルカスキーが好んで演奏した「ブギウギ・エチュード」。派手で演奏効果もあり,親しみやすいブギウギなんで,アンコールに弾いたら絶対に受けそうだが,ほとんど演奏されることはない。
- コンロン・ナンカロウ(1997)
- アメリカの作曲家。
- ピアノ曲と呼べるかどうか微妙だが,自動ピアノのための曲を残している。つまり,生身の人間が演奏することを前提としていないピアノ曲である。
- リゲティの練習曲集が,ナンカロウの作品に触発されて(アイディアをパクったとも言われるが・・・)書かれたことは有名。
- アルフレット・シュニトケ(1998)
- ユダヤ系のドイツの作曲家だったかな?
- ピアノ曲の楽譜としては,モーツァルトのピアノ協奏曲のカデンツァの楽譜を所有しているが,特に弾いてみたい感じの譜面ではない。
- ホアキン・ロドリーゴ(1999)
- ギター協奏曲「アランフェス協奏曲」で有名なスペインの作曲家。
- ピアノ曲もいくつか残していて,どれもスペインの雰囲気に満ちているチャーミングな佳作だが,演奏されることはほとんどない。
- ヤニス・クセナキス(2001)
- ギリシャの作曲家。
- 最初は建築学と数学を専攻し,後に作曲を学んだという異色の経歴の持ち主。そのため,数論で音符の配列を決定したり,コンピュータを駆使した曲を作ったりしている。
- ピアノ曲としては「ヘルマ」「エヴリアリ」といった曲があるが,いずれもほとんど演奏不可能な難曲というか,生身の人間が演奏することを前提にしていないような譜面である。しかし,腕に自信のあるピアニストにとっては「そこに山があるから」という存在であり,近年,コンクールなどで取り上げられることが次第に増えてきつつあるようだ。
- ロバート・ヘルプス(2001)
- アメリカの作曲家。
- ピアノ曲としては「3つのオマージュ」があり,フォーレ,ラフマニノフ,ラヴェルへの賛歌となっている,取り上げられた作曲家からもわかるとおり,叙情的な作風の美しいピアノ曲であり,特にフォーレ賛歌は美しい。とはいっても,ほとんど演奏される機会はない。
- ルチアーノ・ベリオ(2003)
- イタリアの作曲家。
- 「セクエンツァIV」とか「ピアノソナタ」なんて曲があるのは知っているが,聞いたことも弾いたこともないのでパス。
- ジェルジ・リゲティ(2006)
- ハンガリーの作曲家。
- さまざまな分野で次々に実験的な作品を発表しているが,ピアノ曲としては「練習曲集」がもっとも有名で,現在でも腕に覚えのあるピアニストが次々挑戦を続けている。譜面を見るとわかるが,難攻不落の大要塞というか,アイガー北壁というか,人間の限界に挑むというか,ありとあらゆる技巧が極限まで追求されている。
しかも,その人間業を超えたスピードと交錯したリズムが生み出す爽快感はこの練習曲集以外では味わえないものであり,おそらく弾いているピアニストも「ランナーズハイ」のような状態になっているのではないかと思う。八分音符しか並んでない譜面からなぜこれほど複雑な響きと多様なリズムが生まれるのか,それはまさに魔術的である。
- この練習曲はCDになっているが,聴くのであれば楽譜を見ながら聴いたほうがいい。だが恐らく,第1曲目の2段目あたりから遭難し,楽譜を目で追えなくなるはずだ。
- 今後も,彼の「練習曲」は腕自慢のピアニスト,ピアニストの卵たちの挑戦を受け続けるだろう。そのうち,ショパンの練習曲を弾くような感覚でリゲティを弾く高校生が登場する時代が来るんでしょう。それとも,もういるのかな?
(2007/07/20)