科学の面白さ,自然の不思議さと進化のシステムの精妙さを改めて教えてくれる良書である。わかりやすいイラストが満載だし,難しい漢字にはフリガナが振ってあって,ちょっと見には「お子様向けかな?」と見えるが,それは表面だけで,その正体は羊の皮をかぶった狼だ。精緻な数理モデルで明かされるセミの生態の面白さには唸ってしまった。
私はかつて昆虫少年だった。田舎で育ったためもあり,学校から帰るとまず捕虫網を持って駆け回るのが日課だった時期がある。その頃から,17年ゼミという不思議なセミがアメリカにいることは知っていた。17年に一度,アメリカのいろいろな町がセミに占領されるのだ(ちなみに北米にはもう一種類セミがいて,こちらは13年ゼミである)。
何しろ1つの町に50億匹というから想像を絶する。1平方メートルあたり40匹というから町全体が虫かごに入ったようなもので,最盛期には会話することも難しくなるらしい。確か今年も五大湖の近くの町が当たり年になっていたはずだ。
ちなみに,このセミはアメリカ全土で17年に一度発生するわけでなく,2005年はこっちの町,2006年はあっちの町と,ほぼ毎年,アメリカのあちこちで発生していて,ひとつの町に限ると17年ぶりの大発生となる。
なんで一地域(それもかなり狭い範囲らしい)でいっせいに大発生するかといえば,生き残るための手段と解釈されている。このセミは人間が食べてもおいしいらしく(アメリカには,このセミの大発生にあわせてこのセミの料理を出すレストランがある),もちろん鳥たちにとってもご馳走である。しかし,いくらご馳走といっても数が多すぎ,満腹以上には食べられない。だから,大多数のセミは生き残れるわけだ。しかも発生するのは17年に一度だから,このセミをターゲットとした特定の天敵の生まれようもない(セミの捕食者は肉食昆虫,クモ,鳥であるが,これらの寿命は17年より短い)。その意味では見事な生き残り戦略である。
それにしても,地中に17年もいるのだからとんでもない長寿の昆虫だ。クワガタなんかは5年くらい生きるのもあるが,昆虫では17年というのは桁外れである。ちなみに,セミというと「7日しか生きられない」ということではかない命の代名詞みたいに言われているが,これは単に成虫の時期だけであって,アブラゼミもミンミンゼミも6年から7年とハムスターやリスよりははるかに長寿である。
なぜこんなに長命かというと,幼虫時代の成長が遅く,成熟するのに時間がかかるためだ。なぜ成長が遅いかといえば,栄養源とする木の根の導管を流れる液体が栄養が乏しいためである。これは木の実はおいしいが木の根を食べる動物はほとんどない,ということからもわかる。要するにまずくて栄養がないのだ。しかし,地中と地上では敵の数が全く違う。栄養は乏しいが捕食者が少ないのが地中だ。
要するにセミは,敵が少ない地中で生涯の大半を過ごし,栄養に乏しい木の根を吸って,長い時間をかけて成長するという戦略を選んだのだ生物なのだ。
それらがわかったとしても,まだこのセミには次のような根本的な謎が付きまとう。
17年ゼミ(13年ゼミ)は,私たちがよく知っているセミと比べてもかなり特異である。例えばアブラゼミは,一斉に羽化することはなく,一匹の成虫は7日くらいで死ぬが,次々と羽化するため,ひと夏中うるさく鳴き声が聞こえている。また,アブラゼミは広い範囲に分布し,特定の地域で見られるセミではない。これは他のセミでも同じだし,北米以外の地域に生息するセミでも同様だ。つまり,北米のセミだけが他の地域に見られない生き方をしているのだ。
もちろん,このセミの特異な生態は古くから昆虫学者を魅了してきて,上記の3つの謎にもさまざまな説明がなされてきたようだ。しかし,どれも決め手に欠けていた。
そこでこの本の登場だ。ここで筆者は進化論的な立場から北米のセミの進化の歴史を読み解き,そこに数学的な手法を加味して全ての謎を「素数ゼミ」という概念を提案することで明快に説明するのだ。その論理の切れ味と論理の組み立て方は見事というしかない。数学的に明快な説明はまさに科学の王道を行くものであり,科学の醍醐味を味わえる。
セミは今から300万年前に登場した。当時の地球は温暖だったが,やがて氷河期が訪れ,北米大陸のほとんどは氷河で覆われた。当然,この地域に生息していたセミのほとんどは絶滅した。しかし,アメリカ大陸中西部から東部にかけて,海流などの関係で氷河の影響があまりない「レフュージア(避難所)」と呼ばれる場所もあった。偶然ここに住んでいたセミだけが絶滅から逃れられ,これが17年ゼミの先祖になった。
しかし,いかにレフュージアといっても周囲に比べて寒くない,という程度であり,樹木の成長に適した温暖な気候というわけではなかった。当然,樹木の成長は遅く,根が吸い上げる水分や養分の量も少なくなり,セミの成熟にも時間がかかるようになった。当時,アメリカ南部のセミは成虫になるのに12~15年かかり,北部では14年~18年かかっていたようだ。19年以上のものは幼虫期に死滅する率が高く淘汰された。これらのセミは成虫になってからも狭い範囲で暮らすようになり(避難所を飛び出すと氷河にぶつかる),遠くに飛んでいくような性質のセミもまた淘汰されたようだ。このためか,現在の17年ゼミも仲間がいるところに集まろうとする性質があり,狭い地域に密集している。
これで,上記の3つの謎のうちの二つは解決できた。問題は「なぜ13年と17年なのか,なぜ14年ゼミや18年ゼミがいないのか」という謎である。この謎に対し,著者は「13と17は素数だから」と答える。
話は氷河期に戻る。レフュージアの祖先ゼミがその後,12年から18年の幼虫期を経る種類に分化していった。元は一種類とはいえ,やがて遺伝子的に分かれていく。12年ゼミと13年ゼミは初めは交配可能で雑種を生むが,次第に分離が進むにつれて生殖能力のない雑種しか生まれなくなり,やがて交配すら不可能となって分離し,種として独立する。
問題は子孫を作れるようになるまでの期間が10数年と長いことだ。たとえば日本のアブラゼミは地中の生活の長さは栄養状態により6年だったり7年だったりする。だが,6年目で出ようが7年目で出ようが交尾をする相手は毎年必ずいるから,確実に子孫を残すことができる。せいぜい,夏とそれ以外の季節を間違って羽化しないように注意するくらいでいい。
しかし,14年ゼミとなるとこうはいかない。もともとレフュージアという狭い範囲だからセミ自体の数は多くないのだ。だから「栄養状態がいいから13年で外に出よう」とか「栄養が乏しいから15年後に外に出よう」と羽化したら,交尾の相手を見つける確率は極めて小さくなる。となると,一斉に羽化するしか選択枝はない。12年なら12年,18年なら18年と正確に時を記憶し,日を決めて羽化するしか手がない。要するに,確実に子孫を残すなら,「他の年数ゼミ」との交雑を避けるしかない。
このため,時間にルーズなセミたちは淘汰されていった。
しかし,いくら時間を正確に守っていても,羽化したところに「他の年数ゼミ」がいたら相手を間違ってしまう危険性は必ずある。それまで同じ種類だったからだ。となると,「他の年数ゼミ」がいない時期に確実に一斉羽化する必要がある。
著者はここで,12から18までの年数のセミをモデルに,13と17だけが「他の年数ゼミ」と出くわす確率が低いことを明らかにする。結局,時間の経過とともに13年と17年以外のセミは淘汰され,残るのは「素数ゼミ」だけなのである。
例えば,次のような条件で経時的に「各年数ゼミ」の数がどう変化するか,実際に計算してみて欲しい。
(2007/07/17)
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