Casella Pavane Op.1


 アルフレート・カゼッラ(Alfredo Casella)という作曲家がいる。19世紀末から20世紀中ごろまで活動した作曲家だが,現時点では「忘れられた作曲家」の一人である。詳しくはWikipediaの記述をお読みいただきたいが,明確な個性を持った代表曲がなく,また,「ごく一部の熱狂的ファンに讃えられる」わけでもない,という中途半端な位置にいる作曲家である。ま,「忘れられた作曲家」というのはそういうものだろう。

 で,私の場合であるが,なぜかこの作曲家の最初期のピアノ曲が結構好きなのである。ちょっと論理的に分析すると,フリギア旋法のような古い旋法(古い時代のドレミファソラシドのこと)をうまく使っていて,「古い感じがするんだけど,なんだか新しい」という絶妙な色彩感があり,それがノスタルジックな雰囲気を生み出していて,これは他の作曲家の作品にはなかなか味わえないものだと思う。要するに,「バロック音楽みたいな感じなんだけど近代のピアノ曲」なのである。ちょうど,フレスコバルディやバードあたりの作品をピアノソロ用に編曲して弾いているような感覚が得られるのである。

 とりわけ好きなのが,彼の作品1となる『パバーヌ』である。もちろん,個人的な思い入れがある。一番最初にこの曲を聞いたのは多分,中学生の頃だと思う。FMを聞いていたら,すごくきれいで印象的なメロディーが流れたのだ。一度聞いたら覚えられる簡単なメロディーだったが,何とも不思議な和声感を漂わせていることになんとなく惹かれるものがあった。それがこの『パバーヌ』だった。もちろん楽譜はないし,レコードも見つからない。時折そのメロディーを思い出しては,いつかもう一度聞いてみたいな,と思っていた。

 そして,社会人になってからLPレコードが一枚あることを知り,輸入レコード専門店で入手し,その後,「カゼッラ ピアノ曲全集」というCDも入手し,いつでも聞けるようになったが,楽譜は依然として手に入らなかった。

 その後,ピアノ音楽サイトを作るようになり,楽譜収集を通じて世界各地の愛好家やピアニストと交流を持つようになったわけだが,ある日,イタリアのピアニストから夢にまで見た『パバーヌ』の楽譜コピーが送られてきたのだ。何でも,カゼッラのピアノ曲を録音しているピアニスト(ブルーノ・カニーノ氏)を以前から知っていて,私が楽譜を探していることを知り,彼から譲り受けたというのだ。私と『パバーヌ』,思えば不思議な因縁である。


 楽譜を見ながら,この愛すべき小品についてちょっと書いてみる。まず,冒頭部分はこのようになっている。

 メロディーはメランコリックで感傷的。誰でも一度で覚えられる簡単なメロディーだ。だが,実際に弾いてみるとわかるが,短調と長調の狭間を浮遊するような不思議な感じがするはずだ。それは導音(ドレミファで言えばシの音)と主音(ドの音)の関係が半音でなく全音であるためだ。この曲で言えば,第4小節(楽譜1段目の一番最後の小節)の2拍目のホ音がナチュラルでなくフラットのままなのだ(通常の短調ではこれはナチュラル,つまり半音高くなる)。そのため,ちょっと古めかしくてそれでいてなんだか新鮮な感じを醸し出している。

 さらに,右手のメロディーの和声感と,左手のスタッカートの和声が微妙にずれていて,メロディーの和声感からちょっと遅れたり,あるいは先取りしたりしながらメロディーに寄り添っている。この左手の伴奏は,短調に基盤を置きながら,長調側に重力で引っ張られているような感じで刻一刻と変化するが,そのさまが美しい。

 見た目は単純で弾きやすそうだが,実はそれほど簡単ではないと思う。ダンパーペダルなしで弾かなければいけないからだ。そして音域が比較的広いため,音色と音量のコントロールには細心の注意が必要だと思う。こういうところが,ペダルに頼って誤魔化して弾くしかできない素人(=私)には非常に難しい。

 曲はこの後,メロディーをもう一度繰り返し,メロディーは大きく上昇して頂点に達した後,緩やかに下降する美しい弧を描き,やがて虚空に消える。


 そして中間部。

 譜面上はへ長調となり,和音とリズムからなる決然とした部分と,叙情的に漂う部分が交代する。最初の和音の部分はへ長調からすぐにイ短調になるが,この和声の動きも古い時代の音楽を思い起こさせる。その後,dolcissimo の部分になるが,右手のメロディーラインから予想される和声を裏切る左手の和声が美しい。そして,両者が再度繰り返されたのち,主部が再現されるがここからがこの曲の白眉である。。


 譜例でわかるように,左手の伴奏と右手のメロディーの間に,つぶやくように小刻みに動く内声部が重なるのだ。メロディーは息の長い流れるように美しい流線型のカーブを描き,それに対して内声部は逡巡するかのように行きつ戻りつ揺れ動く。

 この部分は非常に美しいが,演奏はかなり難しい。ダンパーペダルなしか,あるいは使ったとしても強拍の頭に少し踏むくらいに留めておくべきだからだ。つまり,右手はソプラノをレガートで歌いつつ,アルトの内声部は均一なタッチのスタッカートでなければいけない。しかも部分的に内声部を両手で弾き継ぐ部分さえあり,繊細な指のコントロールが要求される。おまけに,10度が楽に掴める手でなければ演奏できない部分もある。何度挑戦しても,納得できるように弾けたためしがない。

 その後,メロディーが再度繰り返されるが,内声部は刻々と変化して同じ音型が二度繰り返されることはなく,常に新たな歩みを進め,そのたびに和声の色合いは微妙に変化していく。まさに,大人のための小曲である。


 そして,最後にもう一度メロディーが繰り返され,高みに引き寄せられるように上昇し,そして消えてゆく。


 ついでといってはカゼッラに失礼かもしれないが,同様の傾向を持つ彼のピアノ曲"Variations sur une Chaconne" も譜例つきで紹介。

 一つの主題による変奏曲だが,このテーマは「スペインのフォリア」としてよく知られているメロディー(コレルリの曲が有名。リストの「スペイン狂詩曲」の第一主題でもある)によく似ているが,和音の分厚さはまさにピアノのために書かれた曲であることがわかる。

 第1変奏と第2変奏は類似した性格で,それぞれ流れるような三連符,16分音符が美しい。第3変奏では主題は左手に移る。


 第4変奏の冒頭であるが,分厚い和音と素早い上昇音階,そしてその後の左手の跳躍が,弾いていて心地よい。そして第5変奏はさらに音が細かくなり,激しさを増す。

 第6変奏から曲は長調に転じ,落ち着いた感じとなり,後半の対位法的処理が美しい。第7変奏では右手の細かい音型で動き,第8変奏ではモーツァルト風の音階が連続する。ここも弾いていて楽しい。


 第9変奏でまた短調に戻る。ここでは大きな波のようにうねる右手の急速な音階が作り出す波動が,指に心地よい。


 この第9変奏の性格は第10変奏でよりいっそう激しいものとなり,右手は重音の連続となり,クライマックスで最高音域から低音の奈落になだれ落ちる奔流となり,曲はここで一旦停止し,最後の部分となる。


 この部分は3声のフーガであるが,対位法的に厳密なものではなく,確固とした対旋律はない。曲は次第に音量を増し,音域を広げたところで最初のクライマックスを迎えるが,次第に力を失い,主題の変形によるフーガとなる。

 この部分は長くなく,調性的にやや不安定であるが,後半,最弱音から一気に加速して,分厚い和音が連続する終結部を迎える。

 主題は高らかに勝利を歌い,音楽はエネルギーと熱気を減じることなく,壮大な結末で幕を閉じる。なお,左手オクターブのハ音は,1オクターブ低く弾いた方がいいし,弾くべきだと思う。


 変奏曲としては性格変奏でなく音型変奏に徹しているため非常に古風な感じがするが,反面,ヘンデルの変奏曲のような土臭い力強さがあり,このあたりの曲が好きな人にはとても面白いピアノ曲だと思う。何より,最後の爆音の連続が弾いていて気持ちいいのである。

 なお,この曲を弾いてみたい,曲を聴いてみたいという方がいらっしゃったら,お気軽にご連絡下さい。楽譜などを提供します。

(2007/02/22)

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