本当は非常に重い内容なのに,軽やかで爽やかな印象を残す映画だ。そして,すごくいい映画である。17歳の少女が麻薬の運び屋をするという,現代コロンビアの闇をえぐる内容の映画であり,ものすごく深刻な内容である。恐らく,同じ内容を映画にしたとしても,眦(まなじり)を決して社会悪を告発するという本格社会映画にもなったと思うが,この映画はその方向性はとらず,悪も善もひっくるめて一つの社会なのだ,そこで生きていくのが人間なのだ,という大きなものを感じさせる作品となった。もちろん,主演の女の子がきれいで演技もすごくうまいこともあるんだけど,凛とした彼女の眼差しが明日へのかすかな希望を感じさせ,それが圧倒的な感動を呼ぶ。
コロンビアの田舎の17歳の女の子マリア,彼女が主人公だ。母親,赤ん坊をつれた姉(旦那に逃げられたばかり)と一緒に暮らしているが,一家の生活費を稼いでいるのはマリアらしく,彼女は工場で単調な仕事をしている。おまけに彼女は愛しているわけでないボーイフレンドとの関係で妊娠してしまっている。そして,仕事場の主任と衝突し,仕事を辞めさせられてしまう。もう人生,八方塞り(ふさがり)である。
そんな時彼女は,麻薬の運び屋に誘われる。直径2センチくらい,長さ4センチほどの麻薬入りの袋を飲み込んでアメリカ行きの飛行機に乗り,そちらで袋を排泄して渡す役である。袋を70個ほど飲み込めば5000ドルの報酬があるという。5000ドル,つまり現在のレートだと60万円だ。もちろん,袋が胃袋で破れれば急性麻薬中毒で死ぬし,税関で見つかればもちろん監獄行きだ。しかし,5000ドルあればコロンビアでは新しい家が建てられるのである。だから彼女は60万円を得るために命をかける。
彼女は大粒のブドウを丸呑みする練習をするが何度も吐いてしまう。何とか苦労して飲み込めるようになっても,それからが大変だ。パスポートと航空券は用意してもらっているが,何しろ生まれて初めて飛行機に乗り,一人で税関を通らなければいけないのだ。飛行機に乗るときも飛行機の中でも降りてからもずっと緊張の連続だ。このシーンはまさにサスペンス映画顔負けの緊張感だ。
一方,アメリカ側だって馬鹿ではない。コロンビアから若い女性が一人でやってくるのはどう考えてもおかしいからだ。おまけにコロンビアで航空券は高価であり,購入するのは並大抵のことではない。だからマリアはすぐに目をつけられ別室に連れて行かれる。しかし,運び屋の元締めもそういうリスクは織り込み済みで,飛行機には4人の運び屋を乗せている。一人見つかると,その他の3人が逃げやすいからだ。ここでレントゲンを撮られたら胃袋にカプセルが詰まっていることが判り,監獄行きだ。絶体絶命である。そして,そこまでリスクを犯して60万円なのである。
この映画にはコロンビアとアメリカの裏側が実によく描かれている。経済的に疲弊し,碌な産業を育ててこなかったコロンビアでは麻薬は手っ取り早く現金を得る手段だし,また,アメリカではそれを売って儲けている連中がいる以上,コロンビアからアメリカに麻薬を運ぶのを生活の手段にする人間が現れても不思議はない。さらに映画の中では,ニューヨークの中にコロンビアからの不法移民たちの社会があり,彼らがアメリカの中で生活している様子も描かれている。恐らく,アメリカ社会を支えるための底辺の仕事(つまり,生活には必要だが,アメリカ人はやりたがらない仕事)をしているのだろうか。これがアメリカ社会の影の部分を支えているのだろう。
そんな社会にマリアは放り出されたのだ。スペイン語しか喋れず,知人もいないニューヨークに一人なのだ。そんな中で,マリアはある病院を受診し,お腹の子供が順調に育っている様子をエコーで見せてもらう。この時,彼女の顔が素晴らしく輝き,笑顔が神々しいばかりだ。なぜ彼女がマリアという名前なのか,このシーンがすべてを物語っている。そして彼女に決意が宿る。
彼女は,コロンビアでは子供をまともに育てられないが,アメリカならば子供を育てられる可能性があることを知る。そして彼女は,お腹中の「一粒のひかり」のためにアメリカに一人でとどまることを決意する。空港から引き返す彼女の決意に満ちた眼差しは,しっかりと前を見つめている。その決意の強さに圧倒されるとともに,彼女の未来が少しでも明るいものになってほしいと願うばかりだ。
(2007/01/07)
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