私の死後50年後,私は死んでいるんだけど・・・


 ご存じの通り,現在のアメリカでは著作権保護期間は著作者の死後70年である。一方,現時点での日本では著作権保護期間は著作者の死後50年であり,欧米並に70年に延長しようと言う動きがあるらしい。「著作者の権利が守られる期間なんだから,長ければ長い方がいいんじゃないの?」という印象を持たれる方もいるかもしれないが,期間を延長することと著作者の権利を守ることは,全く無関係ではないかと思うのだ。


 例えば私も本を出版しているはしくれである以上,著作権は死後50年守ってもらえるらしい(・・・頼んだ覚えもないけどさ)。しかし,ふと我に返ってみると,この「死後50年」って私とは無関係な年月である。

 私は来年50歳になる。現在の健康に無頓着な生活を続けていたら,私の父親と同じくらいまで生きられたら御の字だろう。だとしたら,生きていられるのはせいぜい2025年ころまでだろう。著作権は,それからさらに50年も保護してもらえるそうだ。という事は,私の本の著作権が切れるのは2075年である。そしてもしも,著作権保護の期間が死後70年まで延長されるとしたら,著作権が切れるのは2095年である。もう,22世紀間近である。2075年になるとどうなっているかというと,私の息子は90歳くらいになる。生きているとしてもかなり高齢だ。孫だって60代である。曾孫だって子供を作っているころだろう。5年後にどうなっているかも判らないのだから,2075年となるとはるか遠く過ぎて私とは接点すらない。まして2095年となると,そんな死後の世界なんて知った事じゃないのである。

 少なくとも私に関する限り,死後の世界まで著作権を守ってもらっても何のメリットもないし,死んだらそれまでであって,その後はどうだっていい。私の死後,私の著作権が侵害されたって,化けて出て抗議するわけにもいかないじゃないか。それが常識ってもんだろう。


 大体,死後50年(70年)と聞いて,「おお,そんなに未来まで私の著作権を守ってくれるなんてありがたい。素晴らしい本を書き残そう」なんて考えて本の執筆を始める奴なんていないのである。
 「私の死後70年間,作品の権利を保護して子孫に残して欲しい。死後50年じゃ小説なんて馬鹿らしくて書けるか」という作家は一人もいないはずだ。同様に,「死後50年だったら駄作しか書かないけど,死後70年まで保護してくれるのなら傑作を書いてやろうじゃないか」という文筆家はただの一人もいないのである。著作権保護期間があろうとなかろうと,保護期間が死後1年だろうと死後100年だろうと,文章を何かを表現したい奴は文章を書くだろうし,絵が書きたくてしょうがない奴は絵を描くのである。

 つまり,著作権保護があるから創作活動が活発化するわけでもないし,著作権保護がなくなったら芸術が消滅するわけでもない。


 もちろん,小説家も絵描きも霞を食って生活しているわけじゃないから,彼らの生活を維持するための権利としての著作権は絶対に必要だが,それはせいぜい,著作者(創作者)が生きている間だけの権利でいいはずだ。「オヤジは好きなことをして本望だったろうけど,家族は犠牲になったんだから,せめてオヤジの死後くらいは楽をさせて」というのを認めるとしても,それなら著作権保護期間は著作者の配偶者の生存期間か子供たちが成人するまでの期間で十分だ。見たこともない曾孫の世代まで著作権を保護する必要はどこにあるのだろうか。


 くり返すが,著作権保護期間の長短と著作者の創作意欲は全く無関係だし,著作者の受ける利益とも無関係なのである。

(2007/01/03)

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