素晴らしい映画である。色々と難癖をつけようとすればつけられるんだけど,見終わった時の圧倒的な感動の前にはそんなのはどうだってよくなってしまう。140分をこれほど短く感じたことはなった。なぜこの映画が賞をとらなかったのか,そちらのほうが不思議なくらいだ。
これは実話に基づいている映画だ。1960年代,ボクシング・チャンピオンとして君臨していた黒人,ルービン・(ハリケーン)・カーターが殺人の冤罪で投獄され,終身刑を言い渡されるという事件があった。彼は獄中から何度も自分の無罪を主張し,再審請求を出したが全て却下されていた。当時,この事件はかなり大きく取り上げられ,あのボブ・デュランの『ハリケーン』という曲はまさに彼の無罪を主張する歌だったのだ。しかし,州裁判所の壁は厚く,人々の関心も薄れ,強靭なカーターの精神はもう折れてしまいそうだった。
そんな時,トロントで高校に通っている黒人の高校生のレズラが,カーターが獄中で出版した自伝をたまたま古本屋で見つけ,この事件の事を知る。
その本にはカーターの幼い頃からの生い立ちが書かれていた。底辺の町の貧しい家庭で育ち,町の有力者(幼児愛好者で同性愛者だったらしい)が友達に手を出そうとしているところに遭遇して,友達を助けようとしてこの有力者に怪我をさせて少年院送りとなり,そこで暴力から身を守るために暴力を身につけるようになったことが描かれていた。当時カーターは11歳だった。9年後,カーターは少年院を脱走してその足で軍に入り,ボクシングを学び,体を鍛える。ようやく愛する女性にもめぐり合えたと思った時,執念深く彼を追いかける警察官に発見され,少年院脱獄の罪で監獄に舞い戻ることになった。そこで彼は二度とこんなところにもどってこないと心に誓い,ストイックに体を鍛え,読み書きを覚え,本を読み,出所してからはボクサーとして順風満帆な道を歩いていた。そんな彼がある日,3人を射殺した容疑で逮捕され,いつの間にか殺人犯として終身刑が言い渡されたのだった。
少年レズラの境遇も同じだった。彼もアメリカの貧しい家庭で育ち,両親はアルコール依存,兄は刑務所に入っていた。しかし,たまたま知り合ったカナダ人の環境保護活動家たちが,レズラが利発であり向学心を持っていることを知る。このままではこの少年は駄目になってしまう。そこで彼ら(男2人と女性1人)は彼の両親にトロントで教育を受けさせたいと願い出,エズラはカナダで暮らすことになった。
そんなある日,レズラはカーターの本に出会った。本に感動したレズラは覚えたばかりの文字で必死に本の感想を書き,獄中のカーターに送る。そして2人の間で文通が始まり,レズラは勇気を奮ってただ一人,刑務所に赴きカーターに面会する。
1960年代のアメリカはまだ深刻な人種差別があった。映画中のボクシングの試合にもあったが,白人と黒人の試合では,黒人は相手をダウンさせない限り勝てなかったそうだ。判定になるとどんな試合でも白人が勝ってしまったからだ(亀ちゃんの試合の判定みたいなもんだな)。彼の冤罪事件の背景もそこにあったらしい。
当時は公民権運動が盛んで,平等な扱いを要求する黒人のデモや暴動が起きていたが,その風潮を苦々しく思っている勢力もあったのだろう。そこで,カーターの成功を気に食わない連中が,全く無関係の殺人事件が起きた時に「カーターは人種差別に腹を立て,白人専用バーで白人3人を撃ち殺した」というでっち上げ,彼に全ての罪をかぶせようとしたわけだ。殺人現場から走り去る車を見た人は多数いたし,カーターの有利な証言をするものもいたが,全て途中から証言を翻したり,急死したりして(!),カーターの無罪を証言する人はいなくなってしまった。このため,カーターは殺人犯にでっちあげられたわけだ。
この事件の真相を暴き,カーターを自由の身にするため,カナダ人3人とレズラは刑務所向かいの建物に移り住み,カーターの弁護士と連絡を取り合い,膨大な裁判記録を読み直し,証言をした人を一人一人尋ね,ついに証拠が捏造されていることを発見する。しかし,彼らのそんな行動は州警察にとっては見逃すわけにはいかなかった。町の有力者から脅しをかけられ,車に細工されて命を狙われる羽目になる。
さらに裁判のシステムそのものが立ちはだかる。州裁判所で2度の再審請求が退けられ,裁判所そのものが「あの連中」で固められているからだ。そこでカーター支援者は,きなり連邦裁判所に上告するという捨て身の戦法を取る。これで「あの連中」は手を出せなくなるが,万一連邦裁判所の判事が「この書類に新しい証拠となる事実は無い」と判断すれば,それで万事休すである。しかも裁判の判事は,きちんと手続きをとらないことを不満に思っている。
しかし弁護側は,一つ一つ事実を積み重ねて,それが組織的に行われた冤罪事件であることを証明していく。そしてカーターに無罪の判決が下される。実に彼は20歳から50歳までの30年間,無実の罪で獄中につながれていたのだった。
彼は自由の身となり,アメリカボクシング協会は彼に「ミドル級世界王者」のベルトを贈りる。引退した選手に贈られるのはこれが初めてだったそうだ。そして彼は冤罪に苦しむ人たちを助ける活動に参加するようになり,一方のレズラは高校から大学に進学し,ついに弁護士となった。
こんなすごい人たちが実在したのだという事実に圧倒される。
まず,カーター役のデンゼル・ワシントンの圧倒的な演技を褒めるべきだろう。恐らく彼最高の演技ではないだろうか。彼はこの役のためになんと27キロ体重を落とし,ハードなトレーニングを行って本物のボクサーを思わせる鍛え抜かれた肉体を獲得し,精悍なボクサーに変身していたのだ。そして獄中でもトレーニングを欠かさない一方,自分の裁判記録を調べなおし,本を読み,思想を深めることで,哲学者のような風貌になる変貌ぶりが,説得力を持っている。そして無罪となって法廷から出,空を見上げるやさしく慈悲に満ちた眼差しがまた自然な感動を呼び起こす。
レズラもまた,そんなカーターに接することで,普通の少年から逞しい青年に成長していく。カーターはレズラに書く。「(体制側の連中の)憎しみが私を牢獄に送り,(君たちの)愛が私を解放した」と。この言葉に涙しない人はいないと思う。
もちろんこの映画には難点は幾つかある。例えばカナダ人3人組が活動に本気になるに至った経緯の説明が弱いし,体制側の妨害だってあんなものじゃなかったはずだ。
また事実関係から言えば,実はこの3人組がカーター無罪を勝ち取る上ではそれほど重要でなく,弁護士達が主に活動していたようだし,たまたまカーターの車を運転していたことから共犯となり,終身刑の判決を受けていた黒人青年も,その後の再審請求では重要な役割を果たしていたらしい。
だがそういう難点を含めてもまだなお,この映画は大傑作だと思うし,この映画が与えてくれる感動は本物だと思う。憎しみより,愛や信頼の方が強いのだ,人間は悪意より善意が勝っているのだ,と誇り高く歌い上げているからだ。
(2006/10/24)
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