《Michel Petrucciani Trio:LIVE IN CONCERT》★★★★★


 なにがしかの病気を持っているピアニストはそれほど珍しくない。しかし,肉体的ハンディを持ったピアニストとなるとかなり数が少なくなる。盲目のピアニストや片手しか使えないピアニストがわずかにいるだけだ。それは,ピアノという楽器がピアニストに要求する肉体的条件が厳しいからだ。腕の長さは少なくとも88の鍵盤の両端が同時に弾ける長さがなければいけないし,鍵盤を弾きながらペダルも踏まなければいけないから脚長も必要だ。手の大きさ,指の長さだって,少なくともオクターブが弾けなければ話にならない。

 だが,ミシェル・ペトルチアーニは重度の先天性の骨格異常というハンディを持ちながら,フランス最高のジャズピアニストだった。その彼のコンサートを収録したのがこのDVDである。


 まず,彼のCDを先入観なく聞いて欲しい。そしてその音からどんなピアニストが弾いているかを想像して欲しい。私なら,ちょっと大柄で逞しい腕をしているピアニストを想像する。決して小柄な男ではない。

 そんな様子を想像してCDのジャケットを見るとショックを受けるはずだ。なんとこのピアニストの肩の高さはかろうじてピアノの鍵盤の高さくらいなのである。それもそのはず,身長は1メートル足らずなのだ。ずんぐりとした体に不釣り合いに大きく見える頭部と顔面,そして長い上肢がついていて,下肢は異様に短い。下肢はかなり不自由らしく,両腕の杖を使って歩いている。恐らく,ピアノの椅子によじ登り,座ることだって一苦労だろう。


 そんな彼がピアノの椅子に座る。拍手が鳴り止まないうちから右手が鋭いスタカートでメロディーの断片を弾き始める。断片の中からメロディーが次第に形をなし,それに左手の不規則なリズムが絡み,ドラムとベースが入ってくる。もう,彼がどんな姿形をしていたのかなんて,全然気にならなくなる。そこでピアノを弾いているのは先天性の障害に悩む人でなく,ピアノの巨人であり,この楽器を自在に操れる名手なのである。

 その音は芯が通っていて硬質で引き締まり,何より音がとてもきれいだ。ジャズピアニストには音色が単調な人が少なくないが,彼は音色の変化が豊かだ。少年の頃クラシックピアノをきちんと習っていたと言うが,その下地があるからだろう。荒々しい音も分厚い音も透明な音も柔らかな音も出せるピアニストだ。

 足は当然ペダルに届かないから,必要な場合は補助ペダルを使っていたらしい。このDVDでは補助ペダルは使っておらず,ペダルで音を膨らませるとか,音を伸ばすことはできない。だから彼は,硬質のスタカートのタッチを多用し,ここぞと言うところで低音を爆発させたり,両手のクラスターを使ったりして音の響きを補っている。

 左手の表現も面白い。例えば有名な『A列車で行こう』では,左手は列車の動きを表すような無窮動音型を絶えず弾き,そこに右手のメロディーを乗せている。聴衆の心を浮き立たせるような左手だ。今回のDVDでもこの曲が演奏されているが,最後の方で低音で両手でクラスター風の音型を弾き,その合間を縫って高音域でメロディーの断片を乗せている。とにかく,想像力が豊かなのである。


 これほど重い肉体的障害を持っていれば,彼を始めてみた人は恐らくギョッとしたはずだ。そんな,痛いほどの他人の視線の中で暮らすしかなかったはずだ。多分,幼児期から生活は苦痛に満ちたものだったと思う。世の中を呪い,両親を恨んだこともあるはずだ。

 だが,そんな彼に逞しい腕と俊敏な指,敏感な耳,そして類い希な音楽的想像力があった。まさしく,「神は奪い,神は与えたもう」だ。


 彼が生み出す音楽は楽しい。彼の紬出す音達は楽しそうに飛び跳ね,鍵盤を疾走する指は生の喜びに輝いている。彼のピアノは喜びにあふれている。

 彼の演奏を聞いた人は誰でも幸福な気分になるはずだ。「人生って捨てたもんじゃないぜ。生きるってことは喜びなんだ。さあ,みんな,楽しくやろうじゃないか。暗い顔をしてちゃ駄目だよ」。彼のピアノはそう聴衆に語りかけてくる。聴衆みんなを幸せな気分にするピアノであり,雄弁なピアノだ。


 そして,常に聴衆を楽しませることを考えていて,聴衆を置き去りにすることは絶対にしない。それがよくわかるのは,シャンゼリゼ劇場でのソロコンサートを収録した2枚組CDだ。例えば冒頭,40分以上に及ぶメドレーがあるが,曲の配列の緩急がよく工夫され,速い曲の後にゆっくりした曲,複雑な動きで驚かせた後にはシンプルで心にしみ入るようなメロディーと,40分間,決して飽きさせない。決して自己陶酔に浸ることがない。まさしく,聴衆を愛し,聴衆に愛されたピアニストなのである。

 彼は1962年に生まれて1999年,36歳の若さで亡くなった。呼吸器疾患だったと言われている。

 ちなみに,彼はペール・ラシェーズ墓地のショパンの墓に近い場所に葬られているという。


 さて最後に,医学的見地から映像から彼の症状を記載しておこう。

 彼の病名については正確に記載している解説書は見あたらなかったが,下肢限局性の先天性軟骨形成不全の一つのタイプであろうと考えられる。映像で見る限り,指の関節などには異常はなかった。下肢はよく見えないので,遠位短縮型か近位短縮型かは不明。

 映像で見る限り,脊柱側湾があるように見えるし,20歳まで生きられないと宣告されていたと言うから,恐らく胸郭異常があったのではないかと推察される。

 頭部だが長頭変形が認められる。軽度の眼球突出があるが,これは中顔面の形成不全のための付随症状だろう。外耳,下顎は正常。首が短いように見えるが正確なところは不明。

 なお,彼は2度結婚して子供も授かったが,男の子は同じ疾患だったと伝えられている。もしかしたら,X-linked dominantの疾患だったのかもしれない。

(2006/06/26)

 

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