『共生という生き方 -微生物がもたらす進化の潮流-』
(トム・ウェイクフォード,シェプリンガー・フェアラーク東京)


 「生物学系の微生物」の本と「医学系の微生物学」の本を読んでいると,基本概念の部分が全く異なっていることに気がついた。医学系の微生物学書では「微生物=病原菌」,つまり,細菌は病気の原因となる厄介者であり人間に敵対する恐ろしい暗殺者だが,生物学系の本では,細菌とは自然界にあまねく生活する逞しい生命体であり,病原性を持つ状態はむしろ特殊な状況であり,他の生物種と共生することで地球環境を維持しているなくてはならない最も重要な生物ということになる。要するに,見方が180度異なっているのである。

 では,どちらの立場,どちらの見方が正しいのだろうか。


 それが気になりさまざまな本を読んでみたが,生態系とか共生などの概念を知るにつれ,どうやら「医学系の微生物学」が基本的なところで細菌を誤解しているのではないか,ということがわかってきた。医学は病気を治療する学問である以上,医学の微生物学での細菌は病気を起こす細菌に限定され,概念上,病気を起こさない細菌は存在しなかったのである。そして,このような「細菌=病原菌」という考え方を作った(作ってしまった)張本人が,細菌学の父,ルイ・パスツールだったのである。要するに,彼が諸悪の根元だったようだ。

 本書ではパスツールの書いた文章などをそのまま引用しているが,それらを今日的な目で見直してみると,彼は単なる不潔恐怖症,あるいは強迫神経症だったと思われる。彼は最初,ワインを腐敗させる原因を探ることから研究を始め,その原因が細菌であることを突き止めた。そして,人間を脅かすいろいろな病気の原因が実は細菌であることを発見し,バクテリアという言葉を「病原菌」と言い換えて,この恐るべき敵を撲滅することが社会の向上に役立つと信じていた。しかしそれは,現在の目で見ると狂信者の言動なのである。

 彼と同時代の医師たちが,「多くの病気は生活環境や栄養状態の改善で防げるのではないか?」と考えていたが(この考えの方が正しいことは20世紀に証明された),これに頑強に反対したのがパスツール本人である。彼にとって,病気の原因は細菌以外にはなく,細菌のみが病気の原因だったからだ。他の医者たちが,「貧しい人たちが感染症にかかるのは,栄養が足りず,劣悪な生活環境で暮らしているからだ。感染起炎菌を同定する時間があったら栄養を改善する方策を考えるべきだ」と提案した時も,パスツールはその意見を徹底的に批判したらしい。同様に,20世紀に入って「細菌との共生」という概念が提唱されたとき,それを最後まで否定したのがパスツール一派だった。

 同時にパスツールは政治志向が強かった人物であり,国会議員に立候補したこともある。彼は超保守主義者であり,労働者・大衆のことを「病原菌のように不愉快な存在で,彼らを押さえつけて自由を奪ってこそ社会の秩序が回復する」と本気で考えていた人物だ。

 このようなパスツールの考えを無批判に受け入れ,純粋継代培養してきたのが医学界である。本家の生物学ではすでに数十年前から「パスツール・ドグマ」から脱却できたというのに,医学ではなぜか,古臭い「パスツール・ドグマ」を後生大事に守り抜いてきたのである。だから,生物学と医学では,微生物に対する基本的考えが異なっているというか,相反しているのである。


 「細菌と他の生物種との共生」が最初にわかったのが地衣類である。ちなみに,地衣類はそこらにいくらでもいる。地面や木の幹に着いている「かさぶた」みたいなのが地衣類だ。地衣類は一つの生物に見えるが,実は菌類(きのこ・かび)と藻類の共生体である。なぜ共生体かというと,地衣類の藻類と菌類を分離できないからである。菌類を除去すると藻類は死滅するし,藻類がいないと菌類も死滅する。要するに,菌類と藻類で一つの生命体なのである。

 しかし,菌類と藻類は,生物を分ける最も大きな分類である「界」が異なっている。つまり,菌界と植物界である。これは「動物界」と「菌界」と同じくらいの違いである。この「界」を超えて,異種生物同士が共同生活(=相手なしには自分も生存できない)していたのである。このため,地衣類は菌なのか植物なのか,という根本的疑問が生じた。これが共生関係なのである。


 土壌の菌と植物の共生も驚くばかりだ。

 細菌は土壌の中で菌糸を伸ばしているが,それは数十メートル以上の範囲でネットワークを作っている。なぜネットワークを作るかというと,土壌の栄養分の分布には偏りがあるかららしい。だから,栄養豊富など上の菌糸と栄養が足りないところに生えた菌糸がネットワークを作り,互いに不足した栄養分をやりとりする共同体を作っていたのだ。

 そしてこのネットワークを植物が利用するようになる。菌糸ネットワークに樹木の根接続し,相互的な栄養ネットワークを形成するようになったのだ。この結果,日当たりの良い場所の木から,日当たりの悪い場所の木へ,栄養の分配ができるようになり,「樹木互助会」のようなシステムが作られていることが確認されている。このシステムの根幹を形成するのが菌根(マイコリザ)だ。要するに,樹木が自前で根を伸ばすより,既存の菌糸ネットワークを利用した方が,エネルギー効率がよいかららしい。現在,複数種の樹木が10種類以上の共生細菌を共有して,お互いに栄養素をやりとりしていることがわかっている。


 そしてこれは人間でも同様である。人間は腸管常在菌や皮膚常在菌とワンセットで生きている。例えば,腸管常在菌がいなければ人間は食べた物を栄養として吸収できないことは広く知られているし,腸で吸収する多くの栄養素のかなりの部分は,腸管常在菌が作ってくれた物である。要するに,常在菌なしではいくら栄養豊富な物を食べても,それを消化吸収できないのである。逆に,腸管常在菌は人間の腸管という環境に最高度に適応した生物であり,腸管の外に出て生活できないものが多い。つまり,人間と腸管常在菌は切り離せないものだ。同様に,皮膚常在菌も人間の皮膚でしか生きられないが,皮膚常在菌がいない人間は生きていけないのである。

 このことを裏付けるのは,本書でも取り上げられている先天性重症複合免疫不全症の症例だ。彼は,帝王切開で誕生するやいなや,無菌チャンバーに収容された。ありとあらゆる細菌を防ぐためだ。それ以後,体が大きくなるにつれてチャンバーが大きくなったが,彼から細菌を防ぐためには一日あたり10万ドルを超える費用がかかったと言われる。それにもかかわらず,彼は12歳で死んだ。もちろん,この疾患では最も長生きした患者だが・・・。つまり,無菌環境,無菌状態では人間は生きていけないのであり,生きていくためには常在菌を含め,多くの細菌との共生が必要なのである。

 本書で取り上げられているヘリコバクター・ピロリ研究家の医者の言葉は悲痛だ。彼は長年,ヘリコバクター・ピロリは除去されるべき細菌であり,ヘリコバクターを除去することが人間の健康に役立つ,と主張してきたが,今ではそれを後悔しているらしい。共生生命体の常として,ヘリコバクターには人間に対する負の面(=胃潰瘍や胃ガンの原因)と,正の面(=サルモネラ菌や病原性大腸菌に対する毒素を産生する)の両面を持るからだ。さらに現在では,ピロリ菌による胃酸の酸性度調節機能が見直され,ピロリ菌を除去すると食道癌が増加する,という可能性が指摘されている。


 このような共生微生物を知ると,従来の疾病に対する考え方の間違いが見えてくるはずだ。従来は病原菌を単独で見て,それへの対処を考えてきたが,実は,ほとんどの微生物は単独で生きている生物でなく,他の生物と共生関係を持っていたからである。

 その顕著な例がレジオネラ菌だ。レジオネラは耐熱性が高く,温泉やエアコンの内部などの特殊な環境で繁殖するため,これらでレジオネラが検出されるかどうかを問題にしてきた。しかし,自然界のレジオネラは単独で生きていないらしいし,単独で浮遊しているレジオネラには病原性は少ないらしい。実は,レジオネラはアメーバの内部共生微生物であり,アメーバ内に入り込むことでレジオネラは病原性を獲得し,白血球に侵入するための能力も獲得するのだ。だから,水中に浮遊しているレジオネラの数をカウントしても意味がないらしい。浮遊レジオネラ菌がゼロでも,アメーバの中で生きている病原性レジオネラが多数いるからだ。


 このような事実をふまえ,もう一度考えてみよう。地球上の植物の90%以上は菌根菌の宿主であって菌根菌なしには生存できないし,菌根菌は特有の宿主植物なしには生存できない。では,目の前の松の木は「松」という単独の種なのだろうか? これは木なのだろうか,菌なのだろうか,共同体なのだろうか?

 ウシは4つの胃の中に数十種類のセルロース発酵菌を住み着かせているから牧草や藁を食べて栄養にできるが,これらの微生物なしには牧草を消化できず,結果として栄養が取れずに死ぬしかない。それでは,ウシは動物なのだろうか,それとも,微生物にとっての「歩く発酵槽」なのだろうか?

 人間はホモ・サピエンスという単独の種なのだろうか,それとも,常在菌軍とワンセットで生きている複合生命体なのだろうか? あなたの命を支えているのは腸管や皮膚の常在菌たちであり,彼らなしには生きていけない。それでは,あなたは「人間という単独種」で生きているのだろうか,それとも常在菌にとっての「歩く培地」なのだろうか?


 本書は,「生命とは何か」という根元的な問いかけをあなたにしてくるはずだ。生命観を変える書に出会える幸せを感じて欲しい。

(2006/06/02)

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