本書で言う「土」とは「土壌」,すなわち,植物が生え,植物を育む土のことである。
まさか土を知らない人はいないだろう。土に全く触れたことがない人も,極めてまれなはずだ。コンクリートとアスファルトで固められた都会といえども,工事でアスファルトを剥がせばその下には土が見えるし,公園に行けば土や砂はそこらにある。
しかし,「土とは何か」と質問されて即答できる人は,恐らくそれほど多くないはずだ。それどころか,どう答えていいか,途方に暮れないだろうか。実は私も「途方に暮れる」群に入る。10代後半まで田舎で暮らしていた昆虫少年だったのに・・・。畑の土とホームセンターで売っている園芸用の土の違いも判らないし,砂と土がどう違うのかもよく判らない。農業とも園芸とも縁遠い生活しかしたことがないから当然である。
そういう人間だから,植物なんて適当な土に種を植え,適切な量の水さえやっておけば勝手に生えるんじゃないの,と考えていた。ところが,これが大間違いなのである。
たとえば,1970年代,農水省主導で大規模な農地造成がされたことがあった。山を崩しては平らな農地にして,そこにPH調整用石灰と栄養豊富な肥料を撒き,そこで農作物を育てようと言う計画だった。当初この計画はうまくいき,作物は順調に育ったらしい。しかし,数年もしないうちに成長が悪くなり全て枯れてしまったのだ。原因を探ると,はじめは軟らかかった土が硬く閉まり,そのために根が伸びなくなり,水はけも悪くて根が腐ったことが原因だった。掘り起こして肥料を与えた土は物理的には「土」でも,「植物が育つ土壌」ではなかったのである。
植物の根も生きている以上,土の水はけが悪ければ水浸しになり死んでしまう。つまり,土の中に空気が含まれていないと根は死んでしまうわけだ。かといって,空気ばかりで水がなければ根が水を吸うことはできないわけで,今度は植物本体が死んでしまう。要するに,植物が生育できる土とは,透水性と通気性の両方を持ち,さらに保水力も兼ね備えていなければいけないのだ。
これらの条件は矛盾している性質である。しかし,よい土壌を構成する土は,この3条件を兼ね備えているのである。それが団粒構造であり,団粒同士の間に孔隙が保たれている。つまり,団粒が水分を保持し,団粒と団粒の間の隙間を水が流れ,空気が含まれているわけだ。
このような団粒は自然にできたわけではない。団粒は土壌で生存する生物が作ったのだ。団粒が形成されるためには多種多様な土壌生物,すなわち膨大な数の微生物,線虫,原生生物,ダニ,トビムシ,ヤスデ,ムカデ,ミミズなどが必要であり,かれらの複雑精妙な相互作用があってはじめて,無機物でしかなかった「土」が豊穣な有機物を含むの「土壌(=団粒)」になるのである。だから,ミミズだけを土に入れればよい土壌になるわけではなく,多種多様な生物が生きてこそ,植物が生きられる土壌ができるのだ。そして,植物自体も土壌という生態系の一員として関与しているのである。生きるということの深さを思い知らされるのである。
そして同時の本書は,現代の大規模農業が莫大なエネルギー投入で成立していることも示している。例えばトウモロコシの収穫量だけを見れば,人力だけが頼りのグアテマラと機械化農業の極地とも言えるアメリカでは,単位面積当たりの収量は5倍違うが,投入されたエネルギー量は10倍違うのである。つまり,エネルギーを消費することで収穫量を確保しているが,投入した単位エネルギーあたりの収量は半分に減っているのだ(数字だけを見れば)。これは本邦の稲作でも同様で,収量を1.5倍に増えた期間に,投入されたエネルギー量の総量は5倍に増えていたのだ。
もちろん,投入したエネルギーの増加は労力を減らしてくれるし,労働時間も短縮してくれる。少ない人手で広範な農地を維持できるようにもなる。だがこれはあくまでも,投入できるエネルギー量がいくらでも増やせることを前提に組み立てられているシステムであることは明らかである。エネルギー量が有限だったら,どこかで頭打ちになってしまうし,世界中の国がこのような農業をはじめたら,早晩破綻するシステムである。
また,連作障害(同じ畑で同じ作物を続けて栽培できないという現象)の問題は,人体常在菌,耐性菌の話と極めてよく似ていて興味深いものがある。
連作障害の最大の原因は土壌伝染性の病害,すなわち,特定の植物を育てることで特定の病原菌が土壌中に定着し,それが作物の生育を妨げる現象だ。そのため,土壌改良材をいくら投入しても,堆厩肥を施しても連作障害を防ぐことはできず,結局は土壌を消毒するしかないそうだ。
通常,病原菌で汚染された土壌は燻蒸剤で消毒するが,そうするとターゲットの病原菌だけでなく,あらゆる生物を殺してしまう(このあたりは,病院で使われている消毒薬にも共通している作用である)。そのため生態系は崩れ,燻蒸剤に強い一部の生物だけが残り,生物相は単純化する。多種類の生物で成り立っていたホメオスタシスが崩れた時こそ,それまで抑止されていた繁殖力の弱い病原菌が登場できることになる(ここらは人体における日和見感染,耐性菌の出現と同じメカニズムだろう)。要するに,多種多様な生物が生きている場では,相互の共生と拮抗作用がバランスを保っているため,特定の生物(病原菌など)がはびこる機会は非常に少ないのだ。
また以前,『銃・病原菌・鉄』という本で,文明発生における地域差,人種差の問題の謎とそれへの解答となる仮説を提示していることを紹介したが,本書を読むと,地殻変動が少なく火山活動も少ない大陸の土が養分が少なく農業に適していない理由がよく判り,まさに『銃・病原菌・鉄』の仮説を裏付けるものとなっている。このように,全く関連性のない二つの本の知識が結びつき合うのも読書の醍醐味である。
これ以外にも,土壌の面から見た文明の興隆と衰退の分析など非常に鋭い分析があり,これらの知識に触れられただけでも本書を読む価値があると思う。
(2005/12/27)
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