本書は,旧国鉄に入社し,JR東日本副社長(その後,同社会長)にまでなった鉄道一筋の技術者が書いた本。戦後の混乱期から東北・上越新幹線までの開発の歴史に身を置いた人の記述だけに,どのページを開いても発見があるし,技術の進歩の歴史として読んでも教えられるものが多い。
「もしも新幹線がなかったら,今ころ日本の鉄道は東京・大阪を除けば赤字ローカル線しかなく,鉄道そのものが姿を消していたのではないか」とか,「新幹線の成功がなければ,フランスのTGVもドイツのICEもなく,鉄道の旅客輸送は衰退していただろう」という推論には十分説得性があるし,「現在,東海道新幹線が運んでいる人間を飛行機で運ぼうとするとジャンボ機を100往復させるか,40人乗りバスを10秒間隔で走らせなければいけない」というのも事実である。
新幹線がないというのは,そういう状態なのである。
新幹線がなくても物や人は移動しなければいけない。となれば,東京と大阪の移動には高速道路か空路で運ぶしかない。高速道路をどんどん作れば対応できそうなものだが,現在でも交通事故の死者が8000人を超えていることを忘れてはいけない。それが2倍,3倍に増えるのだ。
恐らく,高速道路に頼った輸送増強は,新幹線による輸送力増強とは比較にならない危険性をもたらし,数万人レベルの死者とその数倍の怪我人と障害者を作り出したはずだ。
しかも,東海道新幹線の建設計画が正式スタートしたのは,何と1956年(昭和31年)である。私が生まれる前年であり,スエズ動乱とかハンガリー動乱と同じ年である。半世紀前である。
この年ようやく,東海道線全線の電化が終わったばかりであり,日本国の大部分はまだ,蒸気機関車が煙を吐きながら走っていた時代である。そんな時代に,世界に類を見ない新幹線を計画し,その実現に向けて研究し,次々に直面し山積する難問を解決し,ついに1964年に開通させてしまうのである。まさに,至るところに「プロジェクトX」である。
何しろ,200キロ走行させようにも平野が少ない日本の国土だから,試験走行が十分にできないのだ。パンタグラフの構造をどうしたらいいのか,ブレーキ構造はどうしたらいいのか,200キロ走行でも快適な乗り心地を確保するための車体ばねの構造は何がいいのか・・・など,まったくの手探りで始まった計画である。
しかも時代は,労使の紛争が激しさを増している。技術的な難問だけなら何とかできても,労使関係となると全く別である。人間相手の交渉も必要になる(本書には,こういう生臭い話,生々しい話もきっちりと書かれている)。
そういった難問を一つ一つ解決し,新幹線の営業運転が始まったのだ。これだけで十分に感動的であるし,熱い技術者魂が全てのページに溢れている。とても熱い一冊である。
もしも,東海道新幹線建設計画が10年遅れだったらどうだったろうか。時代は既にマイカー時代となり,高速道路建設が国是となっていた時代であるから,新幹線計画そのものが受け入れられず,途中で頓挫していた可能性が強いし,完成しても現在ほどの乗客がいたかどうかもかなり怪しい。乗客が少なければ運転本数は少なくなり,そのため使い勝手は悪くなり,その結果,乗客はさらに少なくなる。まさにこれは,1980年代までのヨーロッパの鉄道が辿った道である。
このように考えると,1964年の東海道新幹線の開業がその後の日本経済にどれほど寄与したかがわかるし,今日,「東海道新幹線がない日本」を想像することすら難しいと思う。その意味で,蒸気機関車全盛の1956年に,未来を見据えた新幹線を計画した先達の先見の明には脱帽である。
そして,安全性と高速性を両立させた新幹線の前代未聞の成功,そして,国鉄分割民営化の成功を受けて,世界中の鉄道が息を吹き返すのだ。
新幹線建設当時,既に「これは時代錯誤の大事業ではないか。万里の長城,戦艦大和と並んで,三大巨大バカ事業と後世大笑いされるぞ」という指摘はあったし,その危険性は常にはらんでいたと思う。また,新幹線建設によってさらに国鉄(昔の鉄道は国有だったんだぞ)の債務は天文学的に膨らみ,労使の対立と紛争はどうしようもないところまで進んでいた。まさに状況としては最悪だった。
そういうどうしようもない状況の中で東海道新幹線は産声を上げ,その後の日本の繁栄を支える背骨となった。新幹線が戦艦大和にならなかった理由は何だったのか,戦艦大和が新幹線になれなかった理由は何だったのか,そういうことを深く考えさせる一冊である。
(2005/05/09)
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