本書の著者は,日本に野球が伝わり定着した歴史についての本や,野球というスポーツの持つ不思議な魅力についての本を幾つか書いている人である。この『野球とアンパン』という本は,アメリカと日本でのストライクカウントのコール順が違っている事を取り上げ,日本が外来の思想や制度,食文化を取りいれる際のやり方と比較している。
さて,日本では〔ストライク-ボール〕の順にカウントする。〔ツー・ワン〕といえば〔ストライクが2つ,ボールが1つ〕である。〔ツー・ナッシング〕といえばバッターがピッチャーに追い込まれている状態である。
ところがアメリカでは(というか日本以外では),〔ツー・ワン〕といえば〔ボールが2つでストライクが1つ〕,〔ツー・ナッシング〕といえばストライクが入っていないわけで,ピッチャーのコントロールが悪い状態である。
では,日本ではアメリカの野球ルールを勝手に日本流にアレンジして取り入れてきたかというと,実はそうでない。特に明治初期に野球が伝わってきた頃は,アメリカでもルールが毎年のように変わり,スポーツとしてより洗練されたものに,スピーディーなものに変わりつつあった時期だが,日本ではネコの目のように変わるアメリカのルールをそのまま受けいれてきたのだった。
例えば,現在は「フォアボール」,つまりピッチャーがボール球を4つを投げるとバッターが一塁に出られるが,1878年(明治9年)当時は9ボールで1塁,2年後には8ボールで一塁となり,さらにその翌年には7ボールで一塁となり,1889年に4ボールで一塁へとなって現在と同じになる。日本に野球が紹介されたのはちょうどこの時期になるのだが,この頃の日本ではいかに本場のルールを遵守するかしか考えられていなかったそうだ。
たとえば本書によると,昨日まで「ボール9つで一塁」というルールでプレーしていたのに,誰かが「アメリカではもう7ボールで一塁に歩くんだそうだ」と伝えれば皆それに従ったそうだ。とにかく,アメリカのルール変更をリアルタイムで追いかけるのが正しい道,という発想ですね。
なぜ,アメリカで「ボール9つ」が「ボール8つ」になり,それが「ボール7つ」になったのにはきちんと理由と背景があり,アメリカではそれなりに合理的な変更だった事は本書を読めばわかるが,日本ではそんな背景なんてお構いなしに,それがアメリカのルールだと聞けばひたすらそれを模倣し,その通りにしてきたらしい。背景を理解せずに,結果だけ学ぼうという姿勢である。
このあたりを読んでいて思いだすのが,日本の「CDC原理主義」の皆様である。CDCのガイドラインが変更になった,と聞けばそれをホイホイ追いかけ,その通りにすることが正しい道と信じ込んでいる「CDC原理教」の信者の方々には,この明治の野球人と同じ精神が流れているのであろう。
彼らに言わせると,アメリカ様が決めたガイドラインを一字一句をなぞるように実行することが医学なんだそうだ。まさに明治人の言動を見る思いがする。
結局,そのような猿真似の時期を経て,「洋食としてのパン」が「和魂洋才のアンパン」とアレンジすることで爆発的に普及したように,野球もヨーロッパ建築も,一部を日本風にアレンジする事で広く国民に受けいれられる物になったのだろう,というのが本書の結論である。それが本書のタイトルになっている。
このような著者の推論は非常に面白いのだが,「野球における日本風のアレンジ」が著者の指摘する1点だけというのは,ちょっと弱いかな?
それ以外にも,アメリカで子供の遊びに過ぎなかったボール遊びが,アメリカの国技といわれる大人のスポーツ,大人の娯楽として確立していく過程を本書ではまとめて解説しているが,これは非常に面白かった。
なるほど,こういう過程を経てルールが決まってしまったから,野球のルールは複雑怪奇なんだな。「ファールグラウンドにフライが揚がったら,それを野手がノーバウンドで取ったらアウト」なんてのは,他の球技じゃ考えられないルールだもんなぁ。
そういえば,東海林さだおのエッセイに「野球を全く知らない人を野球を見せたが,ルールを説明するのがとても大変だった。ピッチャーとバッターは敵同士なのか味方同士なのかは試合を見ているだけだと判らないし,盗塁も何が起きたのか説明しにくいし理解してもらうのが大変」なんて一説があったことを思い出した。確かにテニスとかラグビーに比べると,野球のルールの複雑さは群を抜いているよね。
さらに野球つながりで言うと,清水義範の最近の文庫本(タイトル忘れちゃった)に「野球というスポーツのルールを400字以内で説明せよ」という問題が出ていた。
野球を知っている人は,この問題をちょっと考えて欲しい。これはムチャクチャな難問である。
そういう複雑怪奇な野球のルールを,清水義範は400字で説明しちゃうのだ。これはすごかった。この部分だけでも読む価値がある本だった。これだから清水義範は面白い。
(2005/01/05)
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