日本はなぜ太平洋戦争に負けたのだろうか。世界中を相手に,日本軍首脳部はどうやって戦争に勝つつもりだったのだろうか。そもそも,なぜ世界中を相手に戦争を始めたのだろうか。
この本は,日本軍の中枢がどのような組織だったのか,そしてそれを支えた陸軍大学校での教育がどうだったのかを詳細に分析している。そして,その分析で明らかになる教育・人材育成の問題点は日本軍の問題にとどまらず,現在にも深く通じていると思われる。
この本で指摘されている問題点を自分なりに整理してみると,次のようになりそうだ。
例えば,軍の最高司令官は軍事バカ,戦闘バカには勤まらないのは古来からの常識である。例えばこれは,三国志を例に取るとわかりやすい。劉備と孔明,関羽と張飛である。
劉備は将帥(軍の最高司令官),孔明は軍師,関羽と張飛は師団以下の参謀だ。将帥は高潔な人格者で軍(国)全体の将来を見据えている人物でないと困るし,軍師は戦争(War)全体の動き,敵や同盟国の動きを冷静に分析して最善の戦略・戦術を提案し,最後の師団以下の参謀(実際の戦闘を指揮する)は軍師の指示に従って勇猛果敢に戦闘(Battle)で戦闘力を発揮する。要するに,この三者が組み合わさる事で,軍(あるいは国)を勝利に導くわけだ。劉備だけではいけないし,孔明だけいてもしょうがない。
関羽や張飛のような猛将ばかりでは戦闘には勝てても戦争で勝利を得るのは難しい。
ここで重要なのは,将帥に戦闘能力は必要ないということだ。彼に求められる資質とは,有能な部下を集めること,その部下の能力を正しく見極める事,能力に応じて部下に最善のポジションを与える事,大局的に物事を見極められる事であり,それは軍事能力というよりは政治家としての能力である。こういう能力を発揮させるためには,軍事教育だけでは不可能で,政治,経済,外交にわたる幅広い高等教育(大学教育)が必要であり,これはいわゆる,一般教養の分野である。
ところが,陸軍大学校では全ての学生に軍事だけに限定した教育を行っていた。その結果,戦略的発想,政略的発想ができない「どんぐりの背比べ」みたいな卒業生しか育たず,彼らが自動的に軍中枢に送り込まれ軍の中枢を担ってしまった。
軍の将帥は軍人でなく哲学者であり政治家でなければいけないのに,軍人だけになってしまったのだ。その結果,戦争(War)に勝つ事が目的でなく,戦闘(Battle)を続ける事が戦争の目的になってしまった。
また,陸軍大学校では図上訓練が重視された。要するに,地図の上にお互いの軍を配置し,それを地図の上で動かしてどのように勝利するか,という訓練である。これは戦闘のシミュレーションには役立つように見えるが,結局は過去の戦闘をなぞるだけになりがちで,時々刻々と変化する実際の戦場の分析にはあまり役に立たない。
そして何より,こういう訓練では,必要な情報は事前に与えられ,それを元に思考する癖がついてしまい,「情報は与えられるもの」と考えてしまうようになる。そしてやがて,自分で情報を集めなくなってしまう。これが「情報軽視」の姿につながることになる。
その結果として,都合の悪い情報は見なかった事にする,聞かなかった事にする,なかった事にするのが,日本軍に共通した特徴になってしまった。
また,「軍人の本分は戦闘にあり」という考えも支配的で,戦うのが軍人の役目であって,直接戦闘しない兵站部や情報部は軟弱である,とこれらを軽視してしまった。これでは,「戦わずして勝つのが戦争の極意」なんて哲学は生まれようがなかった。
特に兵站(食糧や武器・弾薬の輸送のこと)を考えずに戦線をどんどん広げたのは最悪だった。要するに「勝っているからどんどん前進!」すると兵站線が伸びるばかりで,早晩,戦線は破綻する。これは,どんどん増殖する悪性腫瘍では血管新生が追いつかず,やがて腫瘍内部が壊死してくるが,それと同じである。
日本軍は日露戦争で兵站の重要性を体験したはずなのに,喉元過ぎれば何とやらで,太平洋戦争ではまた同じ愚を犯してしまうのである。こういうのを見ると,根本的な部分で学習能力に欠けていたとしか思えない。
同様に,陸軍大学校では戦史教育として作戦・戦闘史を教えたが,そのため学生は,過去の戦闘(戦争)の延長線上に現実の戦闘(戦争)があると考えてしまい,時代が変わり,戦争の様相が変わった事に目を向けず,時代遅れとなった軍備建設を求めがちになったのも問題だった。同様に,軍参謀達も過去に囚われた計画を選ぶのが常だった。
要するに日本軍という組織は,指導者を育てようという理念もなく,指導者を育てるすべももたなかったことになる。陸軍大学校の学生の中の天才も秀才も凡才も同じように教育し,凡庸な中隊長しか育成できなかったのである。そしていつの日にか,彗星の如く優れた指導者が現れるのを夢見ていただけらしい。要するに,偶然任せ,運任せの運営である。
このような教育,人材の育成での不備に加え,軍の組織自体にも問題は多かった。
組織はシンプルなほど間違いが起きにくく,組織が複雑になればなるほど,間違いが起きやすいし,俊敏な意思決定ができなくなる事は誰でも知っているはずだ。ところが日本軍の組織の変遷を見てみると,統帥機関は増える一方だった。
例えばある時期,参謀本部,軍司令,大本営,元帥府,軍事参議院という多数の統帥機関が設置されていた。本来なら,陸海軍統合参謀本部があって,そこで意思決定すべきなのに,陸軍と海軍が反目し合い,競い合っていて統合参謀本部が作れず,そのため,陸軍と海軍の調整のためと称して大本営を設置し,それでも両軍を統合できずに元帥府を作る事になったわけである。こういう屋上屋を重ねた組織は意思決定ができないか,意思決定に時間がかかるか,八方美人的意思決定しかできないか,いずれかである。要するにこれは「責任分散システム」であり「無責任システム」である。
かくして日本軍は,何となくその場の雰囲気で決まった作戦を採択し,責任の所在が不明確なまま作戦を実行し,その結果,多数の戦死者を出したばかりか,国民全部を玉砕させようとしていたのである。
要するに,日露戦争以後の日本は「軍事国家」ではなく,単なる「好戦国家」だったのだ。「軍事国家」だったら勝つための方策を考え,勝つための最善の方法を模索するはずだが,「好戦国家」は戦争がしたいだけであり,戦争を続けることだけを国家の目的にしてしまう。
ちなみに,現在(2004年5月10日現在)のアメリカは,軍事国家なのだろうか好戦国家なのだろうか。
(2004/05/10)
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