これから刺身の味について書いてみようと思うが,多分,グルメを自称する方々から非難轟々だろうな。非常に書くのが怖いネタだけど,ま,いいか。
刺身という食べ物の値段はピンからキリまでさまざまだ。だが,味の差が値段の差ほどあるかというと,どうもそうは思えない。刺身の値段は素材の魚の値段で決まっていると思うが,ピンの素材で作った刺身と,キリの素材で作った刺身の間では,味の差は非常に小さい食べ物なのである。要するに,美味しい刺身はあるが,食えないほど不味い刺身は存在しないと思う。
「それは嘘だ。結婚披露宴に出てくる刺身は不味いのが多いぞ」とツッコミが入ると思うが,それは半日前に切られてその後,空気中に放置され,干からびていたからだ。「新鮮な魚を切って,その場で食べる」という刺身の調理法の基本を外れているから不味いのだ。
もしも,不味くて食えない刺身があったら,生食に適さない状態の魚を使ったか,そもそも生で食えない種類の魚を使ったかのいずれかしかないのである。
では,状態の良い魚で刺身にした時,味の差はあるのだろうか。もちろん味の差は存在するが,それは魚本体の味の差だ。試しに,既に三枚におろされている魚を一流の板前さんが切った刺身と,まったく料理をしたことがない私が切って並べたのを,目隠しテストして味の差はわかるものだろうか? 例え差があったとしても,同じ切れ味の包丁を使えば味の差はかなり接近すると思う。少なくとも,私が切ったからといって「食えなくて不味い」刺身にはならない,というか,不味くしようがないのである。
これがもしも,私が焼き魚を作ったらどうなるだろうか。黒焦げになるか生焼けのいずれかであり,食べられるものにはならないはずだ(このあたりには絶対の自信をもって断言する)。この点が,私が切っても「食べられる」刺身とは違っている。
多分これは,単純なサラダ(例:冷やしたトマトを切って塩をかけたもの)でも同じだろう。三ツ星レストランのグランシェフが切って並べたトマトと,私が切って並べたトマトでは,味の差が出ないだろうし,差の出しようがないはずだ。お湯を注ぐだけのカップ麺では,素人が作ろうとプロの料理人が作ろうと,味の差がでないのと同じである。
これがもしも,複雑なドレッシングを作ってトマトにかけるとなると,その差は歴然としてくるだろう。つまり,
〔料理の味〕=〔素材が持っている味〕+〔料理人が付け加える味〕
という方程式(・・・とは言わないな)が成立するのだ。つまり,〔素材の味〕が占める割合が大きい料理ほど,素人とプロの差は小さくなり,〔料理人が付け加える味〕の比率が高まるほどプロとアマの差は大きくなる。こんな事を書くと,「素材を選ぶのもプロの技術のうち」と反論されそうだが,素材によって味が一義的に決まってしまう事には変わりがないと思う。
では,生で食うと不味い魚,あるいは鮮度の落ちた魚でも,超一流の板前さんなら美味しい刺身が作れるかというと,それはいくら三ツ星板前さんでも無理だろう。こういう魚を美味しく食べるようにするには,香辛料を工夫するとか,調理法を工夫するとか,ソースに凝るとか,干物にするとか,そういう作業が必要になる。そうすれば,上記のような魚でも食べられるようにはなる。
「刺身の味は,素材の魚の味で一義的に決まる」とはそういうことである。
(2004/02/18)
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