2000年11月,「旧石器遺跡発掘の神様」と尊敬されていた研究者が,実は自分で石器を埋めている様子が,毎日新聞の一面を飾った。動かぬ証拠をつきつけられた彼はついに自分が捏造した事を認め,それが発端になって,日本の考古学会が大揺れに揺れた事はまだ記憶に新しい。
それまで彼の評価は考古学会では不動のものだった。大勢の人間が何日かかっても石器一つ発見できない遺跡に彼が来てちょっと地面を掘ると,またたくまに石器が見つかるのだ。それも1回や2回ではない。彼が参加した発掘作業ではことごとくそうなのだ。いつしか彼は「ゴッドハンド」と呼ばれるようになり,マスコミは彼を天才アマチュア学者として取り上げ,彼の発見に従って旧石器時代の解釈は大きく変化し,彼の発見は日本中の中学校の教科書に書かれるようになった。彼が発見した「前旧石器時代の遺跡」は町おこしの目玉となり,幾つもの町で「原人せんべい」「原人ワイン」「清酒原人」が販売され,原人の格好で走るマラソン大会が開かれた。
しかしその全ての業績は虚偽であり,捏造だった。
この『旧石器遺跡捏造』を書いたのは,考古学に深い知識を持つジャーナリストであり,かつてこの「ゴッドハンド」を天才アマチュア考古学者として持ち上げ,本や新聞で紹介した人物である。彼の活動を身近に見ていながら,それに疑いを持たず,逆に彼の捏造活動を宣伝してまわったという反省をもとに書かれた本である。そして,なぜこのペテン師に日本考古学会全体が騙されてしまったのか,なぜその嘘が見抜けなかったのかを詳細に分析している。
遺跡発掘現場に彼が登場するのは,なかなか証拠となる遺跡が見つからず,「そろそろ駄目かな?」という時とか,「ここで遺跡が出てくれると助かるんだけどなぁ」という状況だった。そういう時に彼は颯爽と登場し,現場を一瞥すると「ここにありそうだ」と掘り始めたかと思うと,1分足らずのうちに「あった!」と歓声を上げるのだ。これで現場が奮い立たないわけがない。現場は歓声に包まれ,皆はまたやる気を取り戻す。発掘現場のある町としても「日本最古の旧石器遺跡」が発見されるわけで,まさに願ったり適ったりの状況だ。そしてこういうことが何度か続けば,いつのまにか彼は「神様」と称されるようになる。そういう彼をマスコミが取り上げ,教科書にも書かれるようになれば,学会内部でも彼の業績に疑問を持つ人間はいなくなる。何しろ彼は,大学の専門家ですら見つけられない遺跡を,一瞥で見わけるアマチュアである。
もちろん,早い時期から彼の業績に疑問を持つ人間はいたが,それが考古学会でなく人類学会での発表であったため,考古学会内部の人間には全く伝わっていなかったし,その論文を考古学会の研究者達に送っても無視されるだけだった。要するに,考古学会全体がその「ゴッドハンド」が次々に繰り出す「世紀の大発見」に酔いしれていたのだ。
彼が掘った途端に石器が見つかり,彼がいなくなると発見がストップするのは異常だという指摘も,埋まっている地層の年代と発掘された石器の年代が合っていないのはなぜなのか,という疑問にも誰も気がつかないフリをしていた。彼が山形県と宮城県で別々に発掘した石器がピッタリと接合し,もともと一つの石だったと主張しても「これはまさに天文学的な幸運だ。あのゴッドハンドは幸運すら引き寄せることができるのだ。何と素晴らしい研究者だ」と学会をあげて賞賛する有り様だった。
また,彼の業績に疑問の声をあげた研究者はいたが,「もしかしたら石器を捏造したのか?」とまで考える人は皆無だった。捏造という行為自体,想像の範疇を超えるものだったからだ。だから,地層の年代と石器の年代が異なっていることに気がついたとしても,そのような現象が成立する条件を考えるだけにとどまってしまった。
実はこのような捏造事件は,科学史では珍しい事ではない。この本の中でも言及されているピルトダウン原人(中世の人間の頭蓋骨とオランウータンの下顎を組み合せて作られた「最古の原人」。嘘がばれるまで50年以上かかった)は有名だが,それ以外にも捏造事件はいくらでも例がある。
こういう事件を見ていると,「論文になっている」としても,あるいは「学会が認めている」としても,それが全く嘘八百である場合があることがわかる。「エビデンスとは(過去の)論文の事だ」と信じて疑わない純真な研究者が少なくなくて,なにか言うと「それを証明している文献はあるのか?」と反論する連中がかなり多いが,こういう考え方がどれほど危険なものであるかがわかると思う。何しろ,その論文の元になっている実験そのものが捏造である可能性だってゼロではないのである。まして,まともな実験のように見えて,実は条件の設定の時点で既に大きなバイアスがかかっている例は少なくないのである。
(2003/09/29)
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