- 『自動販売機の文化史』(鷲巣 力,集英社新書)
- 一つのものに着目して歴史を見なおすと思いがけない発見があるものだ。ピアノの開発の歴史を読めば,それは19世紀から20世紀初頭にかけての産業の発展と博覧会の歴史に重なるし,航空機とロケットの開発史は20世紀の科学技術の歴史を浮き彫りにしてくれる。同様に銃の開発史,下着の開発史,チューインガムの開発史なども,目からウロコの新鮮な「人間の歴史」を教えてくれるはずだ。
この「自動販売機」も面白かった。今日の自販機は19世紀にイギリスで発明されたが,本家のイギリスでは全く受けいれられなかった。現在,これが普及しているのはアメリカと日本(人口あたりの台数では日本がダントツに多い)であり,それ以外ではドイツでやや多く,最近では韓国で急増しているらしい。
自販機が受けいれられている国とそうでない国について,文化の違い,国民性の違いを分析しているのだが(新し物好き,社会に階級差がない,古い文化とのつながりが希薄など),特に日本に関しては,自販機の盗難事件が非常に少ない安全な国であった事(自販機にはかなりの現金が入っているのにそれほど盗まれない),自販機の普及を後押しするような通貨政策(100円以下の通貨を全て硬貨化し,自販機で便利という理由で希望が多かった500円硬貨を発行した。また新500円硬貨のサイズも,自販機の改造が少なくて済む大きさに決まったそうだ)がとられたことなどが加わっていたらしい。
そして何より,日本の小中学生は「一人一人が自由に使える金」を持っていて,喉が乾けば自販機でジュースが買えると言うことも,実は大きくかかわっているという。確かに日本史上(あるいは世界歴史史上),10歳にもならない子供のほとんどが自由に使える金を持っているというのは,かなり特異な時代といえるかもしれない。
「特殊(な事例)を極めれば,普遍(の事実)に行きつく」というのが私が理想としているものだが,自販機を追求して普遍的な日本人論,普遍的な文明批評に行き着くのは,やはり凄腕の書き手だと思う。
(2003/05/05)